プロフ生活

May 03, 2013

英語科学論文執筆ワークショップの報告記

毎日毎日,アメリカ人学生を相手に論文執筆を指導したり,アメリカ人共同研究者の英語論文に手を入れたりしている.外国語として英語を使う日本人の私がそんな大それたことをしているのは自分自身奇妙に思う時もあるが,このことは,英語科学論文執筆能力が言語能力にのみ依存するのではなく,それ以前に科学論文を執筆するための正しい知識と技術を身につけているか,ということにより大きく依存することに他ならない.

昨年の初め,アメリカ生理学会主催による科学論文執筆法の合宿ワークショップに参加してその具体的な教育法を体験し理解した私は,昨年夏の一時帰国時に,行く先々でそのような教育の重要性を訴え回った.そして昨年末の二度目の一時帰国時には,講師数名でやるアメリカ生理学会方式を講師一名の小規模にアレンジして,同様の合宿ワークショップを日本人対象で行ってみた.講師も受講者も,ワークショップ以前からかなりのエネルギーを使うワークショップであったが,それだけ,手ごたえもあった.

そのワークショップの報告記が,我々体育科学研究の専門誌,「体育の科学」誌の今月号(5月号)に掲載された.

この報告記を読んだ人達が,そのような教育の重要性を強く認識して行動に移してもらえれば,と願っている.院生やジュニア研究者達はこのような教育を真剣にリクエストし,シニア研究者達がお互いに協力しあって,このような教育を与えるシステムを作っていこうとする.もし,この経験と報告記が,そういう波を作り出す一投石にでもなれば,うれしい限りである.

あれから数ヶ月経ち,受講者から「投稿しました」「アクセプトされました」という知らせが届くたびに,単純にうれしい気持ちになり,ビールで乾杯したくなる.そして,「自分も書かなきゃ」と叱咤激励された気持ちにもなってくる.

あのワークショップは,受講者のためだけではなかった.


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March 30, 2013

大学生の要求で新生復活した身体活動の実習授業 -誰が教えるのか?

顧客満足度が大切なこちらの大学では,学生からのリクエストに応える形で授業が編成されることがある.

私の所属する応用生理学科では,その前身時代,“体育の先生”を中心として1時間の健康教育講義と1時間の体育実習を組み合わせた必修授業を行っていたが,予算や人手などの様々な理由により体育実習部分が省かれていき,今では健康教育講義のみが必修として存在している.

その授業を受けている学生達の声により,これに変化が起きることになった.

健康教育講義では,環境問題や栄養問題などを含め様々なテーマが取り扱われており,身体活動と健康に関する教育も多く含まれている.この必修講義により,我々の専門とする身体活動に対する科学的な理解と身体活動の重要性が,全学部生に広く伝わっている.

学習内容をより実践的に身につけるため,こちらでは講義と実習がセットとなっている授業が多い.その流れからだろう,ここ数年,健康教育の授業に対する不完全性を指摘する声が学生達の中から生まれてくるようになっていた.

「講義で身体活動の科学と重要性を理解させておきながら,その実践に関する実習教育が無いのは教育として手落ちである.」

大学体育の先生達が聞いたら泣いて喜びそうな意見である.元“体育の先生”の私も,こういう要求が知的なジョージアテックの学生達から出てきていることに,驚き半分ながら血が騒ぎ始めた.そしてこのような意見が,授業編成に関する学生からの改善要望をまとめる中央団体で大きく取り上げられ,それは,具体的な要求として我が学科に回ってきたのである.

「身体活動の実習授業を新たに作ることを要求する.」

今や研究重視のプロフェッサー中心に様変わりしてしまった我が応用生理学科が,どのような形でこの要求に応えるのか.プロフェッサー数が少ない学科なので,もしかして元“体育の先生”の私も駆り出され,研究活動に集中できる研究プロフェッサーとしての立場から,実習教育をも兼ねるプロフェサーに舞い戻らされるのだろうか?

そんな心配をしながら臨んだ学科会議での,学部教育担当教員の一言.

「テニュアファカルティは,現在の研究活動と教育活動に専念すべきであり,その他に学部実習教育を担当する余裕はない.学生からの要求であるならば,それ専用の実習教員を雇うだけの予算が大学上層部から充てられるべきであり,そうでなければ開講しない.」

まっとうだ.専門性を大切にし,適材適所で仕事を分担する文化なのだ.

「そして,以前のような単なる運動実技実習ではなく,科学的知識に基づいた新たな実習とすべきである.」

すばらしい.

日本で“体育の先生”だった時代, 大学体育実習に科学的な知を取り入れていくべきという主張をかかげ,教員側からのトップダウン的な実習改革に力を注いでいた.

  • 篠原稔.インテリジェント・ボディ −知の劇場としての身体.東京大学教養学部報 第419号,1998.
  • 篠原稔.インテリジェント・ボディ -教養としての身体の知.体育の科学 48:813-817, 1998.
  • 篠原稔.様々な「身体に関する知」の実習教育の可能性.大学体育 68:49-52, 2000.
  • 高石鉄雄,篠原稔.大学体育教育に関わる具体的な提言.大学保健体育研究 20:25-31, 2000. 
  • 篠原稔.身体「に関する」知と身体「による」知の実践へ. 21世紀と体育・スポーツ科学の発展 pp.186-192, 2000.
  • 篠原稔.「身体の知オタク」と呼ばれる背景.バイオメカニクス研究 4:82-87, 2000.
  • 篠原稔,金久博昭.日本独自のスポーツフィッシング=へら鮒釣りで教養を考える.大学体育 72:69-77, 2001.

その努力は実習用の教科書作成に至るほど,身を結んだ.
教養としてのスポーツ・身体運動 [単行本]
教養としての身体運動・健康科学 [単行本]

しかし,実習教育改革にエネルギーを使った分,研究活動がおろそかになったことは,言い訳のようでもあり,事実のようでもある.

今回は,学生からのボトムアップ,そして,教育担当と研究担当の役割分担がはっきりしている文化でのできごとである.

かくして,テニュアファカルティの仕事には全く影響なく,身体活動の実習授業が新生復活されることになった. 

NEW WELLNESS COURSE INCORPORATES PHYSICAL FITNESS

大学体育改革に力を注いできた元“体育の先生”,現テニュアファカルティとして,とても感慨深い.



shinojpn at 10:41|PermalinkComments(0)

February 19, 2013

外国からのグラント審査依頼

ある国の公的研究助成機関から,外国で働く日本人の私のところにグラント審査の依頼がきた. 

外国にいる私がどのようにしてピックアップされるのかは不明だが,このような外国からのグラント審査依頼は初めてではない.ただ,今回の依頼内容を見た時,とある理由により,しみじみと感慨深くならざるを得なかった.

二十数年前,私が大学院生に成り立ての頃,海外の大学というのは英語論文タイトルの下 にその名称を見て憧れるだけの存在であった.研究者の卵として初々しかったそんな頃,ある海外の大学で客員研究員をしていた先輩の元に滞在し,数週間,海外研究活動を体験する機会が訪れた.美しいキャンパスの中,英語での実験や生々しいディスカッションに初めて触れ,その新しい知的刺激に毎日興奮し,その興奮が憧れと共に心に刻み込まれていった事を鮮明に覚えている.

今回のグラント申請者は,その,私が初めて海外研究活動を体験した大学,しかもその学科に所属する研究者であった.とあるトピックの研究をより発展させるために,この学科内の新しい研究室の設備をより充実させたいというグラント申請である.その学科のwebsiteをのぞいてみると,当時お世話になったプロフェッサーの少し老けた顔写真が載っており,郷愁に誘われていく.

自分が初めて体験し憧れた外国の大学からのグラント申請を,日本人の私が審査するようになるとは.

その巡り合わせに感じ入るとともに,自分が一研究者として 外国での学問の発展に関与できることを光栄に思う.

英語で書かれたグラント申請書は,ジャーナル用の論文査読と同様,その道の専門家であれば,国籍や母国語に関係なく審査することができる.グラント審査が学術的観点からより客観的に行われやすくなるよう,このような英語でのグラント申請が世界各国に広まることを願う.



shinojpn at 06:36|PermalinkComments(0)

December 24, 2012

星新一や星一と同じ血を引いている私

私の体の中に,あの星新一と同じ血が流れているという.

今回の日本出張中に初めて知ってとてもビックリし,アメリカに帰国後の今,新たな刺激と使命感のようなものを感じ始めている.

星新一は,ショートショートという,短編小説よりも短い 形態で数々の小説を生み出したSF小説家. 「気まぐれロボット」をはじめ,子どもの頃に星新一の本を寝転がりながら読んでいたのを,うろ覚えながらに思い出す.

その星新一の父親,星一(はじめ)という人が,私の母方先祖の本家(加茂家)に孫としてよく遊びにきていた,という昔話を母から初めて聞き,興奮の波が始まった.

“自分が理系っぽい仕事に就きながら,文字によるコミュニケーションに深い興味を持ち続けているのは,星新一と同じ血が流れているからなのか.”

と,我田引水にそして誇らしげに納得し,自己満足の世界に入っていった.三十過ぎから小説を本格的に書き始めるようになる以前,星新一は東大農学部を卒業し,農芸化学の大学院にも進んでいる.

と言っても,これは興奮の第一の波に過ぎなかった.

私にとって星新一よりも血が近い星一(はじめ)の経歴と人となりに出会う度に,さらなる興奮の波がやってきた.ネットで「星一」と検索すると,出てくる出てくる

明治時代にニューヨークのコロンビア大学を自費苦学卒業,東洋一の製薬会社星製薬の設立者,星薬科大学の創立者,伊藤博文の臨時秘書,国会議員,そして,野口英世の親友で,ノーベル賞物理化学者フリッツ・ハーバーのパトロンでもあったという.SF小説「三十年後」のアイデアも生み出した.全く知らない人だったが,何だかすごい経歴の持ち主だ.

“そんな昔に自費でアメリカの大学を出たり,先端科学の研究・教育に関わったり,そういう人と同じ血が流れているから,今の自分があるのか ”

と,再び,我田引水の誇らしげな気分に酔いながら,納得感が強くなってくる.

これが,興奮の第二の波.

さらに第三,第四の波が襲ってくる.ネット上の星一情報を貪るように読みまくっては驚き,感嘆し,日本滞在最終日までに,明治・父・アメリカ (新潮文庫) という星一の立志伝を急ぎ手に入れた.

13歳で既に小学校教師をしていた星一が,地元福島の師範学校に入ってより安定した地位に就く人生を勧められたが,それよりも東京に出て学びたい気持ちを伝えた場面.
 臼井郡長「ここにいれば,ぶじに人生をすごすことができる」
 星一「その,ぶじな人生が面白くないのです」

“ああ,似ている”

星一は 東京,サンフランシスコ,ニューヨークと発展的に場所を移しながら苦学を続けるが,絶え間ぬ「社会貢献への意識と行動力」には目を見張る.特に出版や教育による社会貢献への興味が絶えず,ニューヨークで在米邦人向けの日本語新聞や,アメリカ人へ日本を伝える英文雑誌を発行している.渡米10年の後に日本に帰り,星製薬を創業した後も「星製薬社報」やら「ホシ家庭新聞」やらを精力的に発行している.会社創立時から社内に「教育部」をおき,それが現在の星薬科大学の原点になっているという.

“これも,似ている気がする”

星一は,並外れた自由なものの考え方と行動力で,保身的な考え方の人達とぶつかっていく.

“やばい”

時は遡るが,刺激的な特筆すべきエピソードがある.星一がニューヨークに着きアメリカで初めて行商をしようとした時,大都会のビルや豪華な住宅に圧倒され,そこに入って交渉をするということが,最初の数日間全くできなかった.星一は,万一のためにと取ってあった最後の1ドルが自分を弱くしているに違いないと思い,それをわざと使い切ることにした.そして最後の10セントを電車賃として終点で降りて行商をするという,無謀とも言える「背水の陣」に自らを追い込み,殻を破っていった.

“そこまで追い込める勇気を持っているだろうか”
 
自分の中に星新一や星一と同じ血が流れているという情報は,自分に誇りや自己満足,納得などを与えるだけではなかった.

“自分は,この特徴的な遺伝子を十分に磨き利用することができているのだろうか”

“その遺伝子を引き継ぐ自分の子に,適切な教育的刺激を十分に与えているだろうか”

まだまだ,これから.

まだまだ,いける.



shinojpn at 21:10|PermalinkComments(0)

September 20, 2012

大学主催テニュア祝賀ディナー会

学長とのパーティ,大学首脳陣とのリゾート合宿ワークショップと続いた大学主催テニュア祝賀イベントの締めくくりは,3人の副学長達とのディナー会.

会場は,大学が運営するその名もそのまま,ジョージアテックホテル.そういえば6年前の家族連れインタビューの時に泊まらせてもらったなぁと,どこかにしまってあった記憶の糸をたどり,そして紡ぐ.小さくなりかけた点と新たに生まれた点が結ばれ,線になる.この線は,次にどちらに向かい,どこにつながっていくのか.

大学主催イベントと言っても自由参加なので,今までは会わなかったテニュア取得者達も結構いる.ドリンクバーでウォームアップした後は,副学長が分かれて座った3つのテーブルにそれぞれが好きな席を選んで座る.新しい出会いを求め,なるべく知らない人(と女性)が多いテーブルにたどりつく.

短い自己紹介をした後は,飲んで,食べて,ひたすら歓談.工科系大学なので「新しいゲームの開発」などテック系の話題に偏りがちだが,食事の場でのおしゃべりは,
どんな話題でも新しい人達との親近感を強めてくれる.こうやってイベント繰り返し催すことによって,他分野の人達との親近感を育むことを促しているのだろう.このような親近感が,気楽に共同プロジェクトをしていきやすい雰囲気を生み出していくのかもしれない.

ディナーを締めくくる最後の副学長の話でも「人間がやることなんだから,最後は人間関係が決め手になる」ということが繰り返し強調された.実力重視と
言われ,そう思われがちなアメリカの学問界だが,最後の決め手はそこに行き着くらしい.

ただし,最後に一言.
「人間関係が決め手になるのは,実力がある人達の間での話ですけど.」


shinojpn at 09:27|PermalinkComments(0)

September 17, 2012

教授総会メンバーに選出

学科長「Shino, テニュアを取ったから,次はフルプロフェッサーへの昇任に向けて大学へのサービス履歴も積み重ねていったほうがいいなぁ.」

私の口「そうですね.それは大切ですね.私のことを考えてくれてありがとうございます.」
私の心(それは都合のいい方便で,仕事を回してくるんだろうな〰.昇任には大学サービスが必要なのはわかるけど,まだしばらくはうまく避けて研究に集中したいんだけどな 〰 .)
 
学科長「ちょうどGeneral Faculty Assemblyのポジションを募集しているから,応募してみたらどう? 投票で選ばれるから,なれるかどうかはわからないけど.」

私の口「はい,わかりました.」
私の心(General Faculty Assemblyってナニ? まあ,今断ればまた別の何かで誘われるんだから,何でもいいや.どうせ選ばれないだろうし.)

早速,GoogleでGeneral Faculty Assemblyと検索.どうやら各部署から選出された代表者数人だけが年に数回集まって議論する大学全体の教授総会のことらしく,私をそのメンバーにしたいらしい.何だか責任が重そう だけど,どうせ選ばれはしないだろう.

その数週間後に選挙が始まってみると,学科内の人も含め,立候補者は随分沢山いる.こんなにやりたい人が沢山いるの?と,ビックリ.さらに学部全体での投票なので私のことなど知らない人ばかりだ.

ああ,これで選ばれることはないだろう,ホッ.

としたのも束の間だった.そんなことも忘れ「次なるプロジェクト」に心血を注いでいる真っ只中,学部長からの飛び跳ねるようなメールが飛び込んできた.

「多数の立候補者の中からShinoが選ばれました!おめでとう!」

はっ?何?どうして?オレが?何で?と一人ドギマギしていると,同じメールを受け取った人達から次々にメールが回ってくる.

「Congrats, Shino!」

(これって本当にめでたいの?仕事が回ってきただけじゃん.みんな,からかってる?)

まっ,いいか.よくわからないけど,後の仕事はともかく,こんな「アメリカで日本人が選ばれる」という経験は貴重な体験なので,とりあえずそれだけは喜んでおくことにするか.


shinojpn at 19:15|PermalinkComments(0)

March 23, 2012

卒業式用のアカデミックドレス

「Shino,5月の卒業式に出てね」と言われ,いつ? 日にちが空いていたらネー,と軽く答えておいた.

「えっ,でも誰かにフードをかけてもらわないと…」

卒業式では,指導教官がPhD取得生にフードをかけてあげるHooding Ceremonyを行なうという.そうか,何とか都合をつけるようにするよ,と言うと子どものような笑みを浮かべてきた.

「で,Shino, Regaliaは持ってるの?」

Regaliaとは,卒業式用の正装,アカデミックドレスのこと.プロフェッサーはそれぞれ出身大学のアカデミックドレスを着るのが慣わしだ.私が日本で博士を取得したのは10年以上も前で,その頃の国立大学にはそんな洒落た儀式はなかったし,第一,卒業式にも出席していない.

とりあえずジョージアテック物で済ますしかないか,と調べてみる.ガウン,角帽,フードの3点セットでレンタルでも$166.98かかる.来年以降も使う可能性もあるし,と販売価格を調べてみると,$854!(=7万円位)

これはPhD用の値段であり,ちなみに修士用にはレンタルしかなくて$96.98.学士用もレンタルのみで約半額の$56.98.端数の8がアメリカらしくなく日本のスーパーの割引を彷彿させるが(アメリカの割引端数は9),学位によって値段が随分違う.PhD用は破格に高く,値段は学位の価値を反映する,という主張だろうか.また,学部によってフードの色も違うという.

GTregalia
(Georgia Tech website より)

ただしそこで働くプロフェッサーといえど,卒業してもいない大学のアカデミックドレスを買えるのだろうか?

ダメモトで出身大学のウェブサイトをのぞいてみると,法人化の影響か欧米化の現れか,私の出身大学も卒業期間限定でアカデミックドレスを売っているという. こちらも学士と修士はレンタルのみで,いずれも5,000円.博士のレンタルは10,000円でやはり倍程度.そして博士ドレスの販売価格は45,000円.ジョージアテック($854=7万円位)よりも随分と安い.「それだけ日本の学位の価値が低いということか」とツッコミを入れたり,「やはりジョージアテック製の方が格好いいかな」と少し悩んだりもする.

UTDress
(大学生協サイトより)

と言っても出身大学のアカデミックドレスを着ることが正当なので,という建前のもと,やはり安いし,と日本の物を注文することにした.大学生協でオンラインで売っているので,もしかして誰でも買えちゃうの? と思ったが,よく見ると「今年の」卒業見込証明証を送るように,と書いてある.そりゃあ卒業式用だからな,とうなずきながらも,じゃあ昔の卒業生は買えないってこと? とビビったりもする.

しかし,ここまで来たからには後には引けず,残るはお願い攻撃.「10年以上前に卒業した当時には無く,でもアメリカの大学で今どうしても必要だから,云々,…..」と説明し,学位取得証明書を送ったら,あっさり購入できることになった.

実家経由で送ってもらったそれは,MITSUKOSHI製のドレス.ガウンに刻まれたうやうやしい校章が懐かしい.勇んで試着してみると,どう見てもハリーポッターに出てくる中国人生徒にしか見えず(そんなの出てこない?),家族は大笑い.本人もそれに乗じた大笑いでごまかしていたが,実は十数年遅れの一人卒業式気分にはしゃいでいたという裏の気持ちは,家族にバレてしまっただろうか.

つい,角帽を投げ上げてしまったからな.バレバレか.

shinojpn at 11:20|PermalinkComments(4)

March 20, 2012

学科のリトリートで楽しみまくり

こちらの大学では,スタッフみんなで忙しいキャンパスを離れ,ゆっくりとディスカッションする機会を1年か数年毎に設けることがあり,それをリトリートと呼ぶ.リトリート(retreat)には,ラテン語の「後ろに引く」という語源があり,喧騒から「退く」というイメージなのであろう.

公式行事なので,予算はすべて学科持ち.普段とは違うリラックスした環境で言いたい放題ディスカッションすることにより,学科の方向性を作ろうとする,いわば,学科長による接待のようなものである.

我が学科のリトリートは,ちょっとした山の中で一泊二泊で行なわれた.季節外れに気温の高い夕方,適当に集まってロッジにチェックインし,Tシャツ・短パン・サンダルで飲み放題&食べ放題とくれば,口も軽くなる.

食事の後は,学科全体の現状理解と将来構想について情報共有と意見交換.教員,職員,研究者合わせて二十数名の小団体だが,グループディスカッション好きのアメリカらしく,さらに5-6名ずつの小グループに分かれてディスカッション.男女交えた少人数で片手にお酒となれば,気楽な合コン状態である.

二次会は,ロッジのテラスで音楽をかけながら,引き続き飲みたい放題&言いたい放題.山の夜はTシャツ・短パンでは涼しすぎるが,肌で感じるその感覚を優先したい.

「ああ,何て楽しいんだろう」

星空を眺めながらのワインとチーズに,自分の居場所の幸せをつぶやいたりする.

翌日の午前中は,各グループの代表者が合コン結果を報告し,またもやディスカッション.近い将来,他の学科と合同で新しい組織を作る可能性も話題になった.我々は弱小学科なので心配する声が出るのかと思いきや,

「その暁には,我々こそがその新しい組織を引っ張っていくリーダーとして振舞うべきだ」

という話になってしまう.この楽観性こそがアメリカ人の強さだろう.

午後からは,お楽しみのZip line.絶叫〜っ!

zipline-above-trees1




shinojpn at 21:55|PermalinkComments(0)

March 07, 2012

テニュア取得の正夢

誰も信じてくれないかもしれないが,正夢を見た.

しかも,当日.

「Shino, テニュア審査に合格したよ」

学科長からの嬉しい知らせを受け,喜んで家に電話しようと手を伸ばすと,古めかしい電話のプッシュボタンがグルグル回転し出し電話がかけられない.アレ,なんだコリャ?

ピピッ,ピピッ,ピピッ....

いつものように5時きっかりに鳴り出す律儀なスマートフォンが,現実世界の始まりを知らせてくれる.

夢,か.

瞬間,占い好きの妻がよく口ずさむ非科学的な迷信が,寝起きの頭にこだまする.

「いい夢を人に話したら,見た夢が現実には起きなくなっちゃうよ」

見た夢を人に話すのが好きな似非科学者は,その臆病な心に言い聞かせるように,強い誓いを建てる.

「この夢ばかりは,絶対に誰にも話せないゾ.もし話したら,大変なことになってしまう.」



査読者探し,院生指導,論文書きという日常に,寝起きの誓いも遠い彼方になった昼下がり.

「Shino,ちょっと時間ある?」

学科長からの不意な呼び出しに,「えっ,お弁当食べようと思ってたのに」との恨み心を急ぎかき消し,まさか正夢?と,作り笑顔でオフィスのドアを開ける.

「グッドニュースだ.テニュア審査に合格したよ」

Deja vu 感 ではない,本当の正夢だ.



現実世界では,電話はかけられる.

「テニュア,通ったって」

「えーッ! いきなり?」

不意なグッドニュースへの驚きと喜びで,妻の声は上ずっている.

これまでのサポートへの感謝と,そして,これからやっと始まるんだという気持ちを手短かに伝えた.

「でも,アメリカの大学に認められたっていうことが嬉しいよね」

妻の嬉しそうな声が耳に響くと,少しづつ実感が湧いてくる.

十数年前,日本の余裕ある安定ポジションをわざわざ離れ,アメリカで不安定な貧乏生活から出直した過去への清算がこれで終わり,やっと振り出しに戻った.

「日本で学位を取った体育の先生としては初めてでしょう.歴史に刻んだね.」

日本で育った体育の先生でもアメリカでテニュアを取得できるという安心感が,日本人研究者が気楽に世界を見据える原動力の一つになってくれれば,と願う.

成人して四半世紀.自分自身にとっては,更なる飛躍をつかむために自然と導かれた,壮大なる目標(今は秘密)がある.テニュア取得は,次の四半世紀をかけてその壮大なる目標に向かうチャレンジ心を,更に励ましてくれる大切な一里塚となった.

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February 19, 2012

廃用性日本語脳萎縮?

我々運動関係の専門用語に「廃用性筋萎縮」という言葉がある.

ゴチャゴチャした漢字だが,「運動量が減って筋肉を使わなくなった結果,筋肉が萎縮して小さくなってしまう」ことを短く示す専門用語である.昨日,「廃用性日本語脳萎縮」とたとえたくなるような,とてもイヤーな事態に陥った.

久しぶりに日本語の頼まれ仕事を受けて,少しばかり長めの日本語原稿を書くことになった.元々文系だった私としては,日本語で論理的に説明する原稿を書くことにはそれなりに自信もあり,楽しみでもあった.

ところが,書き出してみると,何だか違和感があって,なかなか筆が進まない.あれ,主語はどうしたらいいのだろう,段落構成はどうしたらいいんだろう,などと混乱してきてしまう.それでも何とかがんばって書いた文を読み直しでみると,とても下手くそで気持ち悪い.この原稿には,本当は,書きたいことがもっと沢山あったのだが,混乱に疲れきってしまい,それを書こうというエネルギーも沸いてこない.執筆に集中しすぎると頭が疲れて痛くなることがあるが,昨日,ラフな草稿を最後まで書き上げた後に残ったそれは,いつも英語で書いた後に「頭を使ったぞー」という疲労感とは違う,気持ちの悪いものだった.

考えてみれば,毎日,英語を書いてばかりいて,日本語で論理的に長い文章を書くことは,しばらく行っていない.英語で論理的に文章を書く上での注意点はもう意識下に埋め込まれたようだが,それは言語構成の違う日本語の文章書きには通じない.それどころか,マイナスになってしまうのであろう.これは,日本にいる人が英語で物書きをしようとした時に出くわす難しさの,逆バージョンなのかもしれない.昨日の日本語原稿の内容が,英語論文の書き方についてであることが,皮肉でたまらない.

英語圏での子供の育て方を間違えると,日本語も英語も十分に使えるバイリンガルではなく,どちらの能力も中途半端にしか育たないセミリンガルな子供になってしまう.私の場合,別の方向からのセミリンガルになってしまう危険性がある,ということか.アメリカに10年以上もいると,こういう問題も体験的に浮き彫りになってくるものか,と興味深い.

リハビリトレーニングと思い,本日,もう一編,別のテーマで日本語原稿をしたためた.

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