プロフ生活
May 03, 2013
英語科学論文執筆ワークショップの報告記
March 30, 2013
大学生の要求で新生復活した身体活動の実習授業 -誰が教えるのか?
顧客満足度が大切なこちらの大学では,学生からのリクエストに応える形で授業が編成されることがある.
私の所属する応用生理学科では,その前身時代,“体育の先生”を中心として1時間の健康教育講義と1時間の体育実習を組み合わせた必修授業を行っていたが,予算や人手などの様々な理由により体育実習部分が省かれていき,今では健康教育講義のみが必修として存在している.
その授業を受けている学生達の声により,これに変化が起きることになった.
健康教育講義では,環境問題や栄養問題などを含め様々なテーマが取り扱われており,身体活動と健康に関する教育も多く含まれている.この必修講義により,我々の専門とする身体活動に対する科学的な理解と身体活動の重要性が,全学部生に広く伝わっている.
学習内容をより実践的に身につけるため,こちらでは講義と実習がセットとなっている授業が多い.その流れからだろう,ここ数年,健康教育の授業に対する不完全性を指摘する声が学生達の中から生まれてくるようになっていた.
「講義で身体活動の科学と重要性を理解させておきながら,その実践に関する実習教育が無いのは教育として手落ちである.」
大学体育の先生達が聞いたら泣いて喜びそうな意見である.元“体育の先生”の私も,こういう要求が知的なジョージアテックの学生達から出てきていることに,驚き半分ながら血が騒ぎ始めた.そしてこのような意見が,授業編成に関する学生からの改善要望をまとめる中央団体で大きく取り上げられ,それは,具体的な要求として我が学科に回ってきたのである.
「身体活動の実習授業を新たに作ることを要求する.」
今や研究重視のプロフェッサー中心に様変わりしてしまった我が応用生理学科が,どのような形でこの要求に応えるのか.プロフェッサー数が少ない学科なので,もしかして元“体育の先生”の私も駆り出され,研究活動に集中できる研究プロフェッサーとしての立場から,実習教育をも兼ねるプロフェサーに舞い戻らされるのだろうか?
そんな心配をしながら臨んだ学科会議での,学部教育担当教員の一言.
「テニュアファカルティは,現在の研究活動と教育活動に専念すべきであり,その他に学部実習教育を担当する余裕はない.学生からの要求であるならば,それ専用の実習教員を雇うだけの予算が大学上層部から充てられるべきであり,そうでなければ開講しない.」
まっとうだ.専門性を大切にし,適材適所で仕事を分担する文化なのだ.
「そして,以前のような単なる運動実技実習ではなく,科学的知識に基づいた新たな実習とすべきである.」
すばらしい.
日本で“体育の先生”だった時代, 大学体育実習に科学的な知を取り入れていくべきという主張をかかげ,教員側からのトップダウン的な実習改革に力を注いでいた.
- 篠原稔.インテリジェント・ボディ −知の劇場としての身体.東京大学教養学部報 第419号,1998.
- 篠原稔.インテリジェント・ボディ -教養としての身体の知.体育の科学 48:813-817, 1998.
- 篠原稔.様々な「身体に関する知」の実習教育の可能性.大学体育 68:49-52, 2000.
- 高石鉄雄,篠原稔.大学体育教育に関わる具体的な提言.大学保健体育研究 20:25-31, 2000.
- 篠原稔.身体「に関する」知と身体「による」知の実践へ. 21世紀と体育・スポーツ科学の発展 pp.186-192, 2000.
- 篠原稔.「身体の知オタク」と呼ばれる背景.バイオメカニクス研究 4:82-87, 2000.
- 篠原稔,金久博昭.日本独自のスポーツフィッシング=へら鮒釣りで教養を考える.大学体育 72:69-77, 2001.
その努力は実習用の教科書作成に至るほど,身を結んだ.
教養としてのスポーツ・身体運動 [単行本]
教養としての身体運動・健康科学 [単行本]
しかし,実習教育改革にエネルギーを使った分,研究活動がおろそかになったことは,言い訳のようでもあり,事実のようでもある.
今回は,学生からのボトムアップ,そして,教育担当と研究担当の役割分担がはっきりしている文化でのできごとである.
かくして,テニュアファカルティの仕事には全く影響なく,身体活動の実習授業が新生復活されることになった.
NEW WELLNESS COURSE INCORPORATES PHYSICAL FITNESS大学体育改革に力を注いできた元“体育の先生”,現テニュアファカルティとして,とても感慨深い.
February 19, 2013
外国からのグラント審査依頼
December 24, 2012
星新一や星一と同じ血を引いている私
“そこまで追い込める勇気を持っているだろうか”
“自分は,この特徴的な遺伝子を十分に磨き利用することができているのだろうか”
“その遺伝子を引き継ぐ自分の子に,適切な教育的刺激を十分に与えているだろうか”
まだまだ,いける.
September 20, 2012
大学主催テニュア祝賀ディナー会
会場は,大学が運営するその名もそのまま,ジョージアテックホテル.そういえば6年前の家族連れインタビューの時に泊まらせてもらったなぁと,どこかにしまってあった記憶の糸をたどり,そして紡ぐ.小さくなりかけた点と新たに生まれた点が結ばれ,線になる.この線は,次にどちらに向かい,どこにつながっていくのか.
大学主催イベントと言っても自由参加なので,今までは会わなかったテニュア取得者達も結構いる.ドリンクバーでウォームアップした後は,副学長が分かれて座った3つのテーブルにそれぞれが好きな席を選んで座る.新しい出会いを求め,なるべく知らない人(と女性)が多いテーブルにたどりつく.
短い自己紹介をした後は,飲んで,食べて,ひたすら歓談.工科系大学なので「新しいゲームの開発」などテック系の話題に偏りがちだが,食事の場でのおしゃべりは,どんな話題でも新しい人達との親近感を強めてくれる.こうやってイベントを繰り返し催すことによって,他分野の人達との親近感を育むことを促しているのだろう.このような親近感が,気楽に共同プロジェクトをしていきやすい雰囲気を生み出していくのかもしれない.
ディナーを締めくくる最後の副学長の話でも「人間がやることなんだから,最後は人間関係が決め手になる」ということが繰り返し強調された.実力重視と言われ,そう思われがちなアメリカの学問界だが,最後の決め手はそこに行き着くらしい.
ただし,最後に一言.
「人間関係が決め手になるのは,実力がある人達の間での話ですけど.」
September 17, 2012
教授総会メンバーに選出
私の口「そうですね.それは大切ですね.私のことを考えてくれてありがとうございます.」
私の心(それは都合のいい方便で,仕事を回してくるんだろうな〰.昇任には大学サービスが必要なのはわかるけど,まだしばらくはうまく避けて研究に集中したいんだけどな 〰 .)
学科長「ちょうどGeneral Faculty Assemblyのポジションを募集しているから,応募してみたらどう? 投票で選ばれるから,なれるかどうかはわからないけど.」
私の口「はい,わかりました.」
私の心(General Faculty Assemblyってナニ? まあ,今断ればまた別の何かで誘われるんだから,何でもいいや.どうせ選ばれないだろうし.)
早速,GoogleでGeneral Faculty Assemblyと検索.どうやら各部署から選出された代表者数人だけが年に数回集まって議論する大学全体の教授総会のことらしく,私をそのメンバーにしたいらしい.何だか責任が重そう だけど,どうせ選ばれはしないだろう.
その数週間後に選挙が始まってみると,学科内の人も含め,立候補者は随分沢山いる.こんなにやりたい人が沢山いるの?と,ビックリ.さらに学部全体での投票なので私のことなど知らない人ばかりだ.
ああ,これで選ばれることはないだろう,ホッ.
としたのも束の間だった.そんなことも忘れ「次なるプロジェクト」に心血を注いでいる真っ只中,学部長からの飛び跳ねるようなメールが飛び込んできた.
「多数の立候補者の中からShinoが選ばれました!おめでとう!」
はっ?何?どうして?オレが?何で?と一人ドギマギしていると,同じメールを受け取った人達から次々にメールが回ってくる.
「Congrats, Shino!」
(これって本当にめでたいの?仕事が回ってきただけじゃん.みんな,からかってる?)
まっ,いいか.よくわからないけど,後の仕事はともかく,こんな「アメリカで日本人が選ばれる」という経験は貴重な体験なので,とりあえずそれだけは喜んでおくことにするか.
March 23, 2012
卒業式用のアカデミックドレス
「えっ,でも誰かにフードをかけてもらわないと…」
卒業式では,指導教官がPhD取得生にフードをかけてあげるHooding Ceremonyを行なうという.そうか,何とか都合をつけるようにするよ,と言うと子どものような笑みを浮かべてきた.
「で,Shino, Regaliaは持ってるの?」
Regaliaとは,卒業式用の正装,アカデミックドレスのこと.プロフェッサーはそれぞれ出身大学のアカデミックドレスを着るのが慣わしだ.私が日本で博士を取得したのは10年以上も前で,その頃の国立大学にはそんな洒落た儀式はなかったし,第一,卒業式にも出席していない.
とりあえずジョージアテック物で済ますしかないか,と調べてみる.ガウン,角帽,フードの3点セットでレンタルでも$166.98かかる.来年以降も使う可能性もあるし,と販売価格を調べてみると,$854!(=7万円位)
これはPhD用の値段であり,ちなみに修士用にはレンタルしかなくて$96.98.学士用もレンタルのみで約半額の$56.98.端数の8がアメリカらしくなく日本のスーパーの割引を彷彿させるが(アメリカの割引端数は9),学位によって値段が随分違う.PhD用は破格に高く,値段は学位の価値を反映する,という主張だろうか.また,学部によってフードの色も違うという.

(Georgia Tech website より)
ただしそこで働くプロフェッサーといえど,卒業してもいない大学のアカデミックドレスを買えるのだろうか?
ダメモトで出身大学のウェブサイトをのぞいてみると,法人化の影響か欧米化の現れか,私の出身大学も卒業期間限定でアカデミックドレスを売っているという. こちらも学士と修士はレンタルのみで,いずれも5,000円.博士のレンタルは10,000円でやはり倍程度.そして博士ドレスの販売価格は45,000円.ジョージアテック($854=7万円位)よりも随分と安い.「それだけ日本の学位の価値が低いということか」とツッコミを入れたり,「やはりジョージアテック製の方が格好いいかな」と少し悩んだりもする.

(大学生協サイトより)
と言っても出身大学のアカデミックドレスを着ることが正当なので,という建前のもと,やはり安いし,と日本の物を注文することにした.大学生協でオンラインで売っているので,もしかして誰でも買えちゃうの? と思ったが,よく見ると「今年の」卒業見込証明証を送るように,と書いてある.そりゃあ卒業式用だからな,とうなずきながらも,じゃあ昔の卒業生は買えないってこと? とビビったりもする.
しかし,ここまで来たからには後には引けず,残るはお願い攻撃.「10年以上前に卒業した当時には無く,でもアメリカの大学で今どうしても必要だから,云々,…..」と説明し,学位取得証明書を送ったら,あっさり購入できることになった.
実家経由で送ってもらったそれは,MITSUKOSHI製のドレス.ガウンに刻まれたうやうやしい校章が懐かしい.勇んで試着してみると,どう見てもハリーポッターに出てくる中国人生徒にしか見えず(そんなの出てこない?),家族は大笑い.本人もそれに乗じた大笑いでごまかしていたが,実は十数年遅れの一人卒業式気分にはしゃいでいたという裏の気持ちは,家族にバレてしまっただろうか.
つい,角帽を投げ上げてしまったからな.バレバレか.
March 20, 2012
学科のリトリートで楽しみまくり

March 07, 2012
テニュア取得の正夢
しかも,当日.
「Shino, テニュア審査に合格したよ」
学科長からの嬉しい知らせを受け,喜んで家に電話しようと手を伸ばすと,古めかしい電話のプッシュボタンがグルグル回転し出し電話がかけられない.アレ,なんだコリャ?
ピピッ,ピピッ,ピピッ....
いつものように5時きっかりに鳴り出す律儀なスマートフォンが,現実世界の始まりを知らせてくれる.
夢,か.
瞬間,占い好きの妻がよく口ずさむ非科学的な迷信が,寝起きの頭にこだまする.
「いい夢を人に話したら,見た夢が現実には起きなくなっちゃうよ」
見た夢を人に話すのが好きな似非科学者は,その臆病な心に言い聞かせるように,強い誓いを建てる.
「この夢ばかりは,絶対に誰にも話せないゾ.もし話したら,大変なことになってしまう.」
査読者探し,院生指導,論文書きという日常に,寝起きの誓いも遠い彼方になった昼下がり.
「Shino,ちょっと時間ある?」
学科長からの不意な呼び出しに,「えっ,お弁当食べようと思ってたのに」との恨み心を急ぎかき消し,まさか正夢?と,作り笑顔でオフィスのドアを開ける.
「グッドニュースだ.テニュア審査に合格したよ」
Deja vu 感 ではない,本当の正夢だ.
現実世界では,電話はかけられる.
「テニュア,通ったって」
「えーッ! いきなり?」
不意なグッドニュースへの驚きと喜びで,妻の声は上ずっている.
これまでのサポートへの感謝と,そして,これからやっと始まるんだという気持ちを手短かに伝えた.
「でも,アメリカの大学に認められたっていうことが嬉しいよね」
妻の嬉しそうな声が耳に響くと,少しづつ実感が湧いてくる.
十数年前,日本の余裕ある安定ポジションをわざわざ離れ,アメリカで不安定な貧乏生活から出直した過去への清算がこれで終わり,やっと振り出しに戻った.
「日本で学位を取った体育の先生としては初めてでしょう.歴史に刻んだね.」
日本で育った体育の先生でもアメリカでテニュアを取得できるという安心感が,日本人研究者が気楽に世界を見据える原動力の一つになってくれれば,と願う.
成人して四半世紀.自分自身にとっては,更なる飛躍をつかむために自然と導かれた,壮大なる目標(今は秘密)がある.テニュア取得は,次の四半世紀をかけてその壮大なる目標に向かうチャレンジ心を,更に励ましてくれる大切な一里塚となった.
February 19, 2012
廃用性日本語脳萎縮?
ゴチャゴチャした漢字だが,「運動量が減って筋肉を使わなくなった結果,筋肉が萎縮して小さくなってしまう」ことを短く示す専門用語である.昨日,「廃用性日本語脳萎縮」とたとえたくなるような,とてもイヤーな事態に陥った.
久しぶりに日本語の頼まれ仕事を受けて,少しばかり長めの日本語原稿を書くことになった.元々文系だった私としては,日本語で論理的に説明する原稿を書くことにはそれなりに自信もあり,楽しみでもあった.
ところが,書き出してみると,何だか違和感があって,なかなか筆が進まない.あれ,主語はどうしたらいいのだろう,段落構成はどうしたらいいんだろう,などと混乱してきてしまう.それでも何とかがんばって書いた文を読み直しでみると,とても下手くそで気持ち悪い.この原稿には,本当は,書きたいことがもっと沢山あったのだが,混乱に疲れきってしまい,それを書こうというエネルギーも沸いてこない.執筆に集中しすぎると頭が疲れて痛くなることがあるが,昨日,ラフな草稿を最後まで書き上げた後に残ったそれは,いつも英語で書いた後に「頭を使ったぞー」という疲労感とは違う,気持ちの悪いものだった.
考えてみれば,毎日,英語を書いてばかりいて,日本語で論理的に長い文章を書くことは,しばらく行っていない.英語で論理的に文章を書く上での注意点はもう意識下に埋め込まれたようだが,それは言語構成の違う日本語の文章書きには通じない.それどころか,マイナスになってしまうのであろう.これは,日本にいる人が英語で物書きをしようとした時に出くわす難しさの,逆バージョンなのかもしれない.昨日の日本語原稿の内容が,英語論文の書き方についてであることが,皮肉でたまらない.
英語圏での子供の育て方を間違えると,日本語も英語も十分に使えるバイリンガルではなく,どちらの能力も中途半端にしか育たないセミリンガルな子供になってしまう.私の場合,別の方向からのセミリンガルになってしまう危険性がある,ということか.アメリカに10年以上もいると,こういう問題も体験的に浮き彫りになってくるものか,と興味深い.
リハビリトレーニングと思い,本日,もう一編,別のテーマで日本語原稿をしたためた.