プロフ生活
December 30, 2022
アメリカ子育て生活一段落
アメリカに来て家庭を持ったり子育てをしながらプロフェッサー生活を続けている人達は,それぞれ事情や考え方が異なるだろうし,大切にしていることや意識していることも異なるであろう.
自分の自己実現("ワガママ" と読まれることもある)のために連れてきた責任のある身として大切にしてきたことは,家族それぞれがアメリカで自己実現(じこじつげん)でき,「アメリカで,この家族で暮らして良かった!」と思える毎日を過ごしそれが将来の礎となるよう,導いたりサポートしたりするという意識と行動である.
たとえば,娘は新体操の競技選手として,妻は指導者や審判員として自己実現できるよう,私はマネージャーとして,そして親として夫として,色々なことを考え意識しながらサポートをしてきた.
それがこの春,私達が使っていたジム(体操体育館)が閉鎖する,という知らせが突然入ってきた.ビックリしたのも束の間「一区切りをつける良いタイミング」と私達の気持ちは一つに固まった.娘も妻もそれまでの自己実現に結構満足し,新しい方向での自己実現を見据え始めていたからだ.ジム最終日の記念撮影には充実した晴れやかな笑顔が似合っていた.
約12年間の新体操親子サポートの中で最も意識していたのが,マネージャーとしては「目標に向かう正しい努力を楽しめる状況を作る」ことであり,親や夫としては「できる限り(そして何でもない時に)現場にいる」ということであった.
その数か月後が娘の大学卒業式だった.ソーシャルメディア・コンテンツ・クリエーターとして自己実現を目指すことにした娘は,その足固めとして経営学(マーケティング専修)に専攻を変えていた.ナショナル選手として競技を続けながらも高成績をキープでき,高額な授業料が4年間すべて免除での卒業という親孝行者である.(その分,新体操競技に使うことができた)
家を出ていく最後の瞬間,ハグを求めてきた娘の顔はあまりにも感傷的だった.
その後,一人しか子供がいない私に漂ってきた感情は「アメリカで子育てをやりとげた」という安堵感であった.ソーシャルメディア・コンテンツ・クリエーターという不思議な職業だが,既にそれなりの数のフォロワーにサポートいただいているので,色々な仕事が舞い込んできている.
娘のソーシャルメディア(SNS)現状
TikTok フォロワー 550万人
YouTube チャンネル登録 60万人
インスタグラム フォロワー 40万人
この分野はまだしばらくは成長産業のようであり,その後も,この経験と経営学士のバックグラウンドを基に色々な可能性を広げられることだろう.
この約20年間の子育てで私が意識し行動してきた基本姿勢は,きっと数多くのお父様方と異なっているような気がする.テレビなどのメディアでは「自分が頑張っている姿を子供に見せたい」という父親の言葉と頑張る様子が愛おしく子ども思いのように伝えられることが多い.
私が意識してきたことは,それとは反対の姿勢だった.
「自分が頑張る姿をいかに子供に見せないか」
「常に暇そうな父親の姿をいかに見せるか」
ということを意識して行動してきたのだから.
このようなことを意識して行動してきた理由は
「いつでもすぐに簡単にアクセスできる(話せる,手伝ってもらえる)」
というような父親(や夫)の立場を目指していたからである.
そして何かを頑張る姿勢は,「頑張ってるぞー」と親がこれ見よがしに見せて刺激するのではなく,
「子供が自然に頑張ってしまうようなサポートをする」
ことによって当たり前のように身に付けてほしかったからである.
目の前で頑張ってしまっていては,忙しそうに見えて暇そうな姿を見せられない.なので「いかに頑張らないか」ということを毎朝,そして家路のたびに自分に言い聞かせながらの子育てと夫婦関係である.
といっても職場にいる時はそれなりに仕事っぽいことをして,今年は学術論文審査委員としての功績として「スターレビューアー賞」を権威ある学会からいただいて光栄の限りである.(2回目の受賞.学術界でも暇そうに見えていてサポートができているということなのだろう)
ジムの閉鎖後,妻はフリーの指導者になって日常的な責任から解放され,久しぶりに長い期間の日本滞在を楽しめるようになった.そして新体操を中心としたスポーツ界への新たな関わり方に気づき,その実現への準備を着々とし始めている.
そこにはもちろん「暇そうな夫の姿」も漂わらさざるをえない.そう,色々と一段落,と思ったのも束の間,妻のこの新たな方向へのサポート役が既に始まっている.
そして娘は新たに日本の(スポーツ)SNS関係の仕事に興味を持ち始め,やはり私がそのサポートをする流れになっている.
日本のエージェントととも契約し,公式LINEアカウントでLINE VOOMを出していく流れにもなっている.
一段落が終わったと思ったが,その次にはまた,家族としての次の段落が続いている.
そしてそこでもやはり,「暇そうな姿」という大役が待ち受けているのだろう.
shinojpn at 17:09|Permalink│Comments(0)│
December 31, 2020
マイナスとプラスと「恩送りですっ!」
とうとう1年に1度にの投稿になってしまったこのブログ.
今年一番の出来事は誰にとっても新型コロナによる影響だろう.世の中にとっても個人にとってもマイナスへの変化が多いことは間違いないだろう.でも,中にはプラスへの変化を得た人もいる.
3月下旬,新体操のアメリカ代表で国際大会出場のためにポルトガルまで飛んだ娘と妻は,着いた空港で大会中止を知らされ,試合に出ずにとんぼ返りという散々な目にあってしまった.
それ以降「おうち練習」の日々が続く中,娘が遊び半分で撮ったダンス動画を気楽にTikTokに出してみると,練習が終わった後に爆発的に拡散されているのを知り「驚き桃の木山椒の木」だった.
これがその時の動画で1,000万回を超えた再生回数になっている.
興奮した娘はその後毎日のようにダンス動画を出していたが,よく知らない私にとって,それは
今年一番の出来事は誰にとっても新型コロナによる影響だろう.世の中にとっても個人にとってもマイナスへの変化が多いことは間違いないだろう.でも,中にはプラスへの変化を得た人もいる.
3月下旬,新体操のアメリカ代表で国際大会出場のためにポルトガルまで飛んだ娘と妻は,着いた空港で大会中止を知らされ,試合に出ずにとんぼ返りという散々な目にあってしまった.
それ以降「おうち練習」の日々が続く中,娘が遊び半分で撮ったダンス動画を気楽にTikTokに出してみると,練習が終わった後に爆発的に拡散されているのを知り「驚き桃の木山椒の木」だった.
これがその時の動画で1,000万回を超えた再生回数になっている.
@elenashinohara always late on trends whoop ##fyp ##foryou ##asian ##rhythmicgymnastics ##추천 #おすすめのりたい
♬ Attention by Todrick Hall - alejandro santos ★
興奮した娘はその後毎日のようにダンス動画を出していたが,よく知らない私にとって,それは
「こんなご時世,家の中で楽しめるものを見つけられてよかった」
翻って私自身にとっての最大の出来事は,2010年から続けていたジャーナルのエディターから身を引いたことだ.
コロナとは全く関係ない.
このジャーナルを改善しようと意識して行動してきた結果,それなりに満足のいく成果が出て,10年間といういい区切りだった.ちょうど国際学会の理事にも選ばれたので,学界への貢献はそちらにシフトしようという考えにもなった.
10年間,ジャーナルを改善するためにこだわって行ってきた仕事は,質の高い査読者のみを選び抜き,投稿論文の質を厳しく評価する,という「嫌われ役」だった.
数えてみたら10年間で283本の投稿論文を担当した.1論文3人の査読者なので,延べ849人もの査読者にお世話になった.依頼しても断られることが多いので,毎週2-3人の研究者を探し依頼していたことになる.査読者にはエディターが付ける裏成績があり,それを利用しながら査読候補者を見つけていくが,狭い分野で良質で引き受けてくれる候補者は簡単には見つからない.
私のエディター仕事は査読候補者の発掘と言っても過言ではないだろう.データベースキーワードから査読候補者になりそうな人達を掘り起こし,その人達の出している論文の質や頻度など,様々な情報を集めて,質の高い論文を評価するにふさわしいかを見極めるという仕事である.
283本の投稿論文のうちアクセプト(採択)したのは65本,リジェクト(棄却)したのは218本,私の採択率は23%だった.これはジャーナルが目指す採択率の範囲内だが,毎月2本の投稿論文にダメ出しをしていたことになる.恩師,知り合い,有名研究者からの投稿論文にもダメ出しをしてきた.「嫌われるだろうなー」と思いながら朝からリジェクト宣告をしなければならない日が何日もあった.
10年間続けたそんな日常から解放されてみると,それがいかに物理的にも精神的にも大変な労力であったかが,身に染みて感じられる.その引き換えは一流のジャーナルの質の向上に貢献したという自負であり,それは研究者として光栄なる満足感である.
そういえば,身を引いた際,チーフエディターから労いのレターをいただいた.
お決まりの表現にすぎないのかもしれないが,労いとお礼の言葉をいただくのは素直に嬉しい.
この10年の間,私からの依頼を引き受けていただいた査読者の方々にもこの場を借りて,感謝の気持ちを表したい.もちろん実際の査読者には伝わるはずがないので,これは自分だけの満足感.感謝の気持ちとして今の私にできることは,依頼された査読をできるだけ断らないようにすることであろう.これまでの査読者への直接の恩返しではないが,「Pay it forward(ペイフォワード)の精神」で社会への恩返しとして.
そう,「ペイフォワードの精神」,受けた恩を施してくれた人に返すのではなく誰か別の人に渡して還元するという精神で,日本語だと「恩送り」となる.
というセリフが流行った.
世の中のために,これをさらに発展させられる.
という,ただの微笑ましい日常の一部であった.
娘のダンス動画は
と,好まれるらしい.
satisfyingとは直訳すると「満たされる」となるのだろうが,ビートにピッタリ合った動きを見るといい気持ちになるのかもしれない.数か月の間にファンがどんどん膨らみ,今やTikTokフォロワー300万人,インスタグラムフォロワー20万人を超える「インフルエンサー」になってしまった.それまでは動画を見て楽しんだり元気をもらっていたのが,今度はみんなにそのような喜びを与える立場になったようだ.
その世界ではクリエーターと呼ぶらしいが,企業や他のクリエーターから次々と依頼が来て,それが仕事になってしまいそうな勢いである.
いつだったか聞いた(確かテニュア取得祝賀合宿ワークショップの時)
という話を思い出す.
体育館での指導機会が少なくなって困っていた妻も,今やオンラインだからこそできる指導法を充実させ,選手達の成長を引き出して楽しんでいる.食料品のオンライン購入で浮いた買い物の時間を料理の充実に充て,娘に影響されてインスタグラムに写真を出して楽しんでいる.それを見た人が影響されて,料理に励むという連鎖も生まれているらしい.
マイナスの状況をしっかりとプラスに変え,人にもプラスの影響を与えている.
娘のダンス動画は
「 satisfyingで,繰り返し見たくなってしまう」
と,好まれるらしい.
satisfyingとは直訳すると「満たされる」となるのだろうが,ビートにピッタリ合った動きを見るといい気持ちになるのかもしれない.数か月の間にファンがどんどん膨らみ,今やTikTokフォロワー300万人,インスタグラムフォロワー20万人を超える「インフルエンサー」になってしまった.それまでは動画を見て楽しんだり元気をもらっていたのが,今度はみんなにそのような喜びを与える立場になったようだ.
その世界ではクリエーターと呼ぶらしいが,企業や他のクリエーターから次々と依頼が来て,それが仕事になってしまいそうな勢いである.
いつだったか聞いた(確かテニュア取得祝賀合宿ワークショップの時)
「マイナスの事件が起きてもそれをプラスに変える力を持つ人が幸せになれる」
という話を思い出す.
体育館での指導機会が少なくなって困っていた妻も,今やオンラインだからこそできる指導法を充実させ,選手達の成長を引き出して楽しんでいる.食料品のオンライン購入で浮いた買い物の時間を料理の充実に充て,娘に影響されてインスタグラムに写真を出して楽しんでいる.それを見た人が影響されて,料理に励むという連鎖も生まれているらしい.
マイナスの状況をしっかりとプラスに変え,人にもプラスの影響を与えている.
翻って私自身にとっての最大の出来事は,2010年から続けていたジャーナルのエディターから身を引いたことだ.
コロナとは全く関係ない.
このジャーナルを改善しようと意識して行動してきた結果,それなりに満足のいく成果が出て,10年間といういい区切りだった.ちょうど国際学会の理事にも選ばれたので,学界への貢献はそちらにシフトしようという考えにもなった.
10年間,ジャーナルを改善するためにこだわって行ってきた仕事は,質の高い査読者のみを選び抜き,投稿論文の質を厳しく評価する,という「嫌われ役」だった.
数えてみたら10年間で283本の投稿論文を担当した.1論文3人の査読者なので,延べ849人もの査読者にお世話になった.依頼しても断られることが多いので,毎週2-3人の研究者を探し依頼していたことになる.査読者にはエディターが付ける裏成績があり,それを利用しながら査読候補者を見つけていくが,狭い分野で良質で引き受けてくれる候補者は簡単には見つからない.
私のエディター仕事は査読候補者の発掘と言っても過言ではないだろう.データベースキーワードから査読候補者になりそうな人達を掘り起こし,その人達の出している論文の質や頻度など,様々な情報を集めて,質の高い論文を評価するにふさわしいかを見極めるという仕事である.
283本の投稿論文のうちアクセプト(採択)したのは65本,リジェクト(棄却)したのは218本,私の採択率は23%だった.これはジャーナルが目指す採択率の範囲内だが,毎月2本の投稿論文にダメ出しをしていたことになる.恩師,知り合い,有名研究者からの投稿論文にもダメ出しをしてきた.「嫌われるだろうなー」と思いながら朝からリジェクト宣告をしなければならない日が何日もあった.
10年間続けたそんな日常から解放されてみると,それがいかに物理的にも精神的にも大変な労力であったかが,身に染みて感じられる.その引き換えは一流のジャーナルの質の向上に貢献したという自負であり,それは研究者として光栄なる満足感である.
そういえば,身を引いた際,チーフエディターから労いのレターをいただいた.
この10年の間,私からの依頼を引き受けていただいた査読者の方々にもこの場を借りて,感謝の気持ちを表したい.もちろん実際の査読者には伝わるはずがないので,これは自分だけの満足感.感謝の気持ちとして今の私にできることは,依頼された査読をできるだけ断らないようにすることであろう.これまでの査読者への直接の恩返しではないが,「Pay it forward(ペイフォワード)の精神」で社会への恩返しとして.
そう,「ペイフォワードの精神」,受けた恩を施してくれた人に返すのではなく誰か別の人に渡して還元するという精神で,日本語だと「恩送り」となる.
「施されたら施し返す。恩返しですっ!」
というセリフが流行った.
世の中のために,これをさらに発展させられる.
「施されたら施し送る。恩送りですっ!」
shinojpn at 07:14|Permalink│Comments(0)│
December 31, 2018
家族それぞれが世界挑戦
18年前アメリカでの研究生活に挑戦し始めた頃,家長として家族「全体」の将来への責任は意識していたが,家族「個人個人」の将来への責任までは具体的に考える余裕は,正直,無かった.
アメリカでの研究生活,それ自体は私個人の興味(「ワガママ」と読む)や将来性(「身の程知らず」と読む)が結び付いた挑戦に過ぎず,家族それぞれの興味や将来性について,具体的に思いを巡らせる余裕が無かった.
実際に日本を飛び出して「世界挑戦」してみると,日本国内では得られなかった様々な体験をすることになり,自分自身が培ってきた価値観,人生観,世界観などが次々と揺さぶられ,新たな自分自身を作り上げていくようになる.
それを成長と呼ぶのだろう.
そういう成長の機会を持てている自分は幸せ者だが,ならば,家族の「それぞれ」がそういう機会を得れば,それぞれが幸せ者になれるのではないだろうか,と思い始めた.全体として足し引きした結果「総合的には幸せな家族」というよりも,成長し続ける幸せ者の個人個人が集まる「幸せ集合体として成長する家族」という,そういう個人ベースの成長家族を志向していた.
それぞれがアメリカで挑戦しながら暮らしていること自体が世界挑戦のように見えるかもしれないが,アメリカに暮らしている者からすれば,アメリカを出なければ世界挑戦にはならない.
できれば,家族それぞれが世界挑戦をし,それぞれが成長して幸せ者になってほしい.
それを意識して,長い年月をかけて家族それぞれの挑戦を段階的にサポートしていった結果,今年は,それが実現する年となった.
妻は,アメリカ国内で新体操競技の審判員を行っていたが,国際大会で審判を行える国際審判員への挑戦として,10月にフィリピンで行われた国際審判員の講習会と試験を受けに行った.それに向けて毎日毎日勉強する中で,ふとつぶやいた.
「受かるかなー.でも,このためにこんなに勉強したおかげで,色々なことがより良くわかるようになった.挑戦すると決めて準備をした段階で,すでに成長するんだね」
アメリカから日本を通過して遠くフィリピンまで行って受けた試験は,結果,無事に合格した.更なる大きな成長である.
娘は,アメリカ新体操ナショナルチームに再び入ることができ,フルタイム大学生として忙しく勉学をこなしながらも,時間を見つけ技術の向上に努めている.その結果,ルクセンブルグ国際大会にアメリカ代表で派遣されることとなった.
大きなお祝いの時だけに行ける,アトランタで一番美味しい高級お鮨屋でのお祝いが嬉しい.
ルクセンブルグ国際大会では,日本生まれの娘が,アメリカを代表して世界挑戦である.
そして,その国際大会で妻も審判として参加できることになった.
これで家族それぞれが世界挑戦するところまでたどり着いた.
「幸せ集合体として成長する家族」へ向けて,新たな道筋ができ始めた.
世界で挑戦する家族の一形態として,成長し続ける幸せ者の個人個人が集まる「幸せ集合体として成長する家族」という,個人ベースの成長家族,その一つの例となるかもしれない.
アメリカでの研究生活,それ自体は私個人の興味(「ワガママ」と読む)や将来性(「身の程知らず」と読む)が結び付いた挑戦に過ぎず,家族それぞれの興味や将来性について,具体的に思いを巡らせる余裕が無かった.
実際に日本を飛び出して「世界挑戦」してみると,日本国内では得られなかった様々な体験をすることになり,自分自身が培ってきた価値観,人生観,世界観などが次々と揺さぶられ,新たな自分自身を作り上げていくようになる.
それを成長と呼ぶのだろう.
そういう成長の機会を持てている自分は幸せ者だが,ならば,家族の「それぞれ」がそういう機会を得れば,それぞれが幸せ者になれるのではないだろうか,と思い始めた.全体として足し引きした結果「総合的には幸せな家族」というよりも,成長し続ける幸せ者の個人個人が集まる「幸せ集合体として成長する家族」という,そういう個人ベースの成長家族を志向していた.
それぞれがアメリカで挑戦しながら暮らしていること自体が世界挑戦のように見えるかもしれないが,アメリカに暮らしている者からすれば,アメリカを出なければ世界挑戦にはならない.
できれば,家族それぞれが世界挑戦をし,それぞれが成長して幸せ者になってほしい.
それを意識して,長い年月をかけて家族それぞれの挑戦を段階的にサポートしていった結果,今年は,それが実現する年となった.
妻は,アメリカ国内で新体操競技の審判員を行っていたが,国際大会で審判を行える国際審判員への挑戦として,10月にフィリピンで行われた国際審判員の講習会と試験を受けに行った.それに向けて毎日毎日勉強する中で,ふとつぶやいた.
「受かるかなー.でも,このためにこんなに勉強したおかげで,色々なことがより良くわかるようになった.挑戦すると決めて準備をした段階で,すでに成長するんだね」
アメリカから日本を通過して遠くフィリピンまで行って受けた試験は,結果,無事に合格した.更なる大きな成長である.
娘は,アメリカ新体操ナショナルチームに再び入ることができ,フルタイム大学生として忙しく勉学をこなしながらも,時間を見つけ技術の向上に努めている.その結果,ルクセンブルグ国際大会にアメリカ代表で派遣されることとなった.
大きなお祝いの時だけに行ける,アトランタで一番美味しい高級お鮨屋でのお祝いが嬉しい.
ルクセンブルグ国際大会では,日本生まれの娘が,アメリカを代表して世界挑戦である.
そして,その国際大会で妻も審判として参加できることになった.
これで家族それぞれが世界挑戦するところまでたどり着いた.
「幸せ集合体として成長する家族」へ向けて,新たな道筋ができ始めた.
世界で挑戦する家族の一形態として,成長し続ける幸せ者の個人個人が集まる「幸せ集合体として成長する家族」という,個人ベースの成長家族,その一つの例となるかもしれない.
shinojpn at 23:58|Permalink│Comments(0)│
December 30, 2018
娘と一緒に同じ大学に通う
自分の勤める大学に娘が通うようになると,自分の職場ではなく,子供の通う学校として親の視点でジョージア工科大学を捉えるという,新しい見方ができるようになった.
入学前オリエンテーションでは,担当者や現役学生による夢ふくらむ説明から,自分の勤める大学が「学生にとって」いかに魅力的かということが,次々とひしひしと伝わってくる.
「本学卒業生の新卒年収は平均で7万ドル(770万円相当),普通に暮らすには十分な給料が保証されています.将来のお金のことは気にせず,自分自身が本当に学びたいこと,やりたいことに向かって楽しんでください」
「学力のみならず,様々な観点から本学に最もふさわしい学生として君達を選びました.それは,君達にとっても最もふさわしい大学ということでもあります.これまでの中で最も居心地のいい学習環境にいると実感することでしょう」
親として安心なのはもちろんのこと,そんな大学に通える娘が羨ましくさえなってくる.
入学前オリエンテーションでは,担当者や現役学生による夢ふくらむ説明から,自分の勤める大学が「学生にとって」いかに魅力的かということが,次々とひしひしと伝わってくる.
「本学卒業生の新卒年収は平均で7万ドル(770万円相当),普通に暮らすには十分な給料が保証されています.将来のお金のことは気にせず,自分自身が本当に学びたいこと,やりたいことに向かって楽しんでください」
「学力のみならず,様々な観点から本学に最もふさわしい学生として君達を選びました.それは,君達にとっても最もふさわしい大学ということでもあります.これまでの中で最も居心地のいい学習環境にいると実感することでしょう」
親として安心なのはもちろんのこと,そんな大学に通える娘が羨ましくさえなってくる.
娘は新体操ナショナルチーム選手なので,大学に通いながらも,夕方からは自宅近所の体育館で(妻コーチとの)練習がある.自宅と大学は45kmも離れているので,大学の寮には入らず,私と一緒に自宅から大学に通う.
朝6時に家を出る車の中,この大学がいかに自分に合っていて,毎日がいかに居心地よく楽しんでいるか,娘は,暗闇で朝ご飯をほおばりながら喜々として話す.
「自分と気の合う人達がこんなに沢山いる場所は初めて」
「真面目に学ぼうとする人達ばかりだから,自分も勉強するのが当たり前になる」
「インターナショナルで,アフリカ,アジアなど,遠い所から真剣に勉強しに来ている」
「すごく意識の高い人が沢山いて,とても刺激になる」
「わからないところは教え合って助け合うのが当たり前の雰囲気なんだ」
自分が大学生だった頃の遠い記憶を手繰り寄せたりしながら,親として微笑ましい気持ちになってくる.
「プロフェッサーって,高校の先生と全然違うわ.物事の捉え方や教え方が論理的で,とてもわかりやすく,尊敬できる」
そんな冷や汗ものの会話もあったりする.
お腹とお口が満たされたスポーツ系女子大生はやがて朝寝タイムとなり,運転手には静かにゆっくりと動く時間が訪れてくる.
「こういう何気ない時間って,実は貴重なんだろうな」
「真面目に学ぼうとする人達ばかりだから,自分も勉強するのが当たり前になる」
「インターナショナルで,アフリカ,アジアなど,遠い所から真剣に勉強しに来ている」
「すごく意識の高い人が沢山いて,とても刺激になる」
「わからないところは教え合って助け合うのが当たり前の雰囲気なんだ」
自分が大学生だった頃の遠い記憶を手繰り寄せたりしながら,親として微笑ましい気持ちになってくる.
「プロフェッサーって,高校の先生と全然違うわ.物事の捉え方や教え方が論理的で,とてもわかりやすく,尊敬できる」
そんな冷や汗ものの会話もあったりする.
お腹とお口が満たされたスポーツ系女子大生はやがて朝寝タイムとなり,運転手には静かにゆっくりと動く時間が訪れてくる.
「こういう何気ない時間って,実は貴重なんだろうな」
shinojpn at 20:01|Permalink│Comments(0)│
December 07, 2017
産学共同研究センターを作るためのNSFグラント
全米科学財団(National Science Foundation, NSF)のグラントの中に,企業との共同研究を推進するための産学共同研究センタープログラム(Industry–University Cooperative Research Centers Program)という,複数の大学と企業を結びつけるグラントがある.
そのグラントで,アリゾナ州立大学とヒューストン大学が昨年作ったニューロテクノロジーの産学共同研究センターに,我々のジョージア工科大学グループが,新たに追加する可能性のあるセンターサイトの候補大学として,アリゾナ州立大学での会議に招待された.自分達のグループを新たに追加してもらえるように売り込む,第一次審査である.
アリゾナ州立大学とヒューストン大学の研究グループの首脳陣と,それらのセンターに出資する企業,そして全米科学財団の関係者を前に,我々の代表者がジョージア工科大学自体の紹介と,我々の研究グループの売り込みを行った.他にも4つの有力大学が候補として売り込みに来ており,どこが第一次審査を通ってもおかしくない.
私の科学的探究も紹介の一つに入れたが,企業が興味を持つのは,製品化への道が見やすい,工学的な研究開発だ.そして,我々のウリの一つは,最近,共同研究開発している,義手の指一本一本をピアノが弾けるくらいにコントロールできる超音波義手だ. 開発代表の音楽工学者がインパクトのある動画を見せた.
聴衆の興味,いや,感情をうまく引き出した.
The Force is Strong: Amputee Controls Individual Prosthetic Fingers
その後,アリゾナ州立大の日本人ポスドクと院生と一緒にビールを飲みつつ,日本で研究者としてやっていくことと,アメリカで研究者として生きていくことの違いなどについて,語り合った.
そのグラントで,アリゾナ州立大学とヒューストン大学が昨年作ったニューロテクノロジーの産学共同研究センターに,我々のジョージア工科大学グループが,新たに追加する可能性のあるセンターサイトの候補大学として,アリゾナ州立大学での会議に招待された.自分達のグループを新たに追加してもらえるように売り込む,第一次審査である.
アリゾナ州立大学とヒューストン大学の研究グループの首脳陣と,それらのセンターに出資する企業,そして全米科学財団の関係者を前に,我々の代表者がジョージア工科大学自体の紹介と,我々の研究グループの売り込みを行った.他にも4つの有力大学が候補として売り込みに来ており,どこが第一次審査を通ってもおかしくない.
私の科学的探究も紹介の一つに入れたが,企業が興味を持つのは,製品化への道が見やすい,工学的な研究開発だ.そして,我々のウリの一つは,最近,共同研究開発している,義手の指一本一本をピアノが弾けるくらいにコントロールできる超音波義手だ. 開発代表の音楽工学者がインパクトのある動画を見せた.
聴衆の興味,いや,感情をうまく引き出した.
The Force is Strong: Amputee Controls Individual Prosthetic Fingers
その後,アリゾナ州立大の日本人ポスドクと院生と一緒にビールを飲みつつ,日本で研究者としてやっていくことと,アメリカで研究者として生きていくことの違いなどについて,語り合った.
夜行便で帰ろうと空港まで送ってもらい,メールを開くと,朗報が入っていた.
第一次審査合格!
である.
全米科学財団は,センターの運営費のみをグラントとして出してくれるだけで,プロジェクトは企業依存となる.
次の段階は,各プロジェクトに対し,毎年5万ドル(550万円)を投資してくれる企業を3つ以上,見つけることである.通常ならばそのうち半分以上が間接経費として大学に吸い取られてしまうが,このプログラムだと,間接経費は10%に制限されているのが大きな魅力だ.これでやっと大学院生1人分の給料と授業料を賄えることになる.参加企業は,プロジェクト研究結果は勿論,全センターの様々な知的リソースにアクセスできることになる.
身体運動のリハビリを進化させたり,身体運動のキャパシティを大きくするヒューマンオーグメンテーションなどの,ジョージア工科大学のニューロサイエンスやニューロテクノロジーの研究・開発に投資していただける企業をアメリカ国内・国外を問わず絶賛募集中!
shinojpn at 23:00|Permalink│Comments(0)│
November 05, 2017
アメリカ挑戦の裏話「それは家族から」
この記事は,月刊スポーツメディスン11月号特集の「挑戦」インタビュー記事 「自分だからこそ」すべき研究は何なのか ─信念と行動力、それが挑戦になっていく に関係する裏話,特にアメリカ挑戦を決定したときの家族の関わりについて書いた内容です.
2000年9月,論文博士を(自己流で)取得して間もなく,生後5か月の娘と妻を連れ,コロラド大学での在外研究に向かった.結婚直後の新婚旅行は横浜中華街という“バーチャル中国旅行”だったので, リアルな新婚旅行としてアメリカを1年間楽しもう,と二人で盛り上がっていた.
1年も留守にして家賃を払うのは勿体ないと,分譲マンションも買い,帰ってくる準備も万端にしておいた.
「留学とは学を留(とど)めると読む」
そんな頼もしい上司の教えを耳に,博士取得が終わった解放感に満ちた遊び心満載の旅立ちだった.
コロラド大学の外国人家族用アパートで暮らし始めると,色々な日本人家族と知り合いになっていく.うちの娘よりも年上のお子様達を抱えながら,ご主人が博士課程に通っているという家族も何組かいる.私と似たような年齢で,日本のそれなりの会社を辞めて博士を取りにきた人などもいる.
もちろん日本人だけではない.色々な国々から,それなりの年齢に達した夫婦達が,それなりの年齢の子供達を連れ,高い教育を身に付けようと励むパートナーに連れられ,つつましく暮らしている.
「留学とは学を留(とど)めると読む」
そんな頼もしい上司の教えを耳に,博士取得が終わった解放感に満ちた遊び心満載の旅立ちだった.
コロラド大学の外国人家族用アパートで暮らし始めると,色々な日本人家族と知り合いになっていく.うちの娘よりも年上のお子様達を抱えながら,ご主人が博士課程に通っているという家族も何組かいる.私と似たような年齢で,日本のそれなりの会社を辞めて博士を取りにきた人などもいる.
もちろん日本人だけではない.色々な国々から,それなりの年齢に達した夫婦達が,それなりの年齢の子供達を連れ,高い教育を身に付けようと励むパートナーに連れられ,つつましく暮らしている.
我々が大学で学んでいる昼間の間,子供同士を遊ばせる職務を担ったママ友たちは,呑気に世間話をしているだけではないらしい.新婚旅行で来た我々とは違い,これまでの貯金,立場,仕事,築いてきた物すべてを投げ打ち,新たな希望に向かって何年も頑張り続けている家族達を目の当たりにするらしい.生き方,ものの見方を考えさせられる深い話ばかりだという.
一方の私は,プロフェッサー達の研究を中心としたスケジュール,新しい実験技術,ハイレベルなディスカッションなど,日本で体育教官として駆けずり回っていた身からすると大違いである.
「世界レベルの研究はこういう日常の中で行われているのか」
と,驚くばかりであった.
「世界レベルの研究はこういう日常の中で行われているのか」
と,驚くばかりであった.
しかし,その驚きは,あっという間に悔しさと情けなさに変わっていった.
研究室の院生たちはまだ頼りない若者達ばかりだが,こうやって毎日毎日,数年間,こういう高いレベルの研究に触れ続け,高い意識で毎日を過ごすことができる.今は自分の方が少しばかり高い研究力を持っているかもしれないが, 5-6年もしたら,彼らは手の届かないレベルまで伸びていくことだろう.
博士課程には進まず自己流で研究してきたので,自分はそういうレベルの研究教育を受けてこなかった.34歳にもなってその程度の研究力しかなく,日本に帰ってまた体育教官として走り回っていたら,たかが知れている.40歳になった頃には,この頼りない研究者の卵達にも簡単に抜かれて拝んででもいることだろう.
そんな今,目の前に,素晴らしい研究力研鑽の場がある.ちゃんとした研究者として生きていこうとするならば,こんなチャンスを逃す手はない.アメリカのトップレベルの研究室で数年かけてトレーニングすれば,かなり力がつくだろう.
そして,研究生活を仕事の中心にできるアメリカの大学で,プロフェッサーとして研究を楽しみたい.
今からでも遅くない.
というか,今ほどのチャンスは無い.
そして,研究生活を仕事の中心にできるアメリカの大学で,プロフェッサーとして研究を楽しみたい.
今からでも遅くない.
というか,今ほどのチャンスは無い.
思い立ったら決心は早い.
決心したら行動も早い.
「大事な話がある」
妻に打ち明けたのは,コロラドに来てほんの数か月しか経っていなかった.
「自分は博士課程に行っていないから,トレーニングが足りてない.自分の研究能力が不十分で不甲斐ない.博士課程を今からやり直すつもりで,5年間,アメリカでゼロからやり直したい」
日本では,それなりの将来がそれなりに約束されたような安定した職に就き,それなりに給料をもらい,おかげでそれなりの分譲マンションも買えた.日本での安定性と将来性.アメリカでやり直すということは,それらすべてを捨ててゼロにしてしまうということである.
「日本にいても,このままでは研究者として先が無い.こっちの研究員になれば,5年間,今までの給料の半分での貧乏生活になってしまう.でも,それで研究能力をつけて,その後もこっちでやっていきたいし,やっていけると思う」
言い切り,返事を待った.
「5年間で,もっと立派になるんでしょ」
「うん」
「そうなりたいんでしょ」
「そう」
「いいわよ」
「!」
拍子抜けだ.
一度も話したことは無かったのに,心の内を見透かされていたのだろうか.
「ここで暮らしてると,何となーく,ウチもそんなことがあるのかなーって,思ったりしてたわ」
「そんなこと?」
「仕事を辞めて博士課程に来た人の奥さんから聞いたことがあるのよ.
“主人が,将来,私のせいで自分の好きな仕事に就けなかったって思ってほしくないから”
って.自分の仕事も捨ててきて,もう何年も貯金を切り崩しながら頑張ってるんだって」
「へえ」
「私,すごいなーって思った.私はそういう風に考えたことはなかったから.ここにいる人達って,みんな,自分を伸ばそうと思って,色々なものを捨てて挑戦しに来ている人達ばかりなのよ.そして,その夢に向かって一緒に進んでいる家族ばっかり.実は大変なんだろうけど,幸せそうなの.真剣に生きていて,すごく元気をもらえるっていくか,勉強になるわ.」
「そうなんだ」
環境の力は大きい.
「だけど,日本人がわざわざ外国のアメリカでやっていくっていうことは,普通のレベルじゃあ意味がないってことよ」
「えっ?」
「日本人がわざわざアメリカで働くっていうことは,アメリカ人以上にアメリカにいる価値のある人間になるっていうことだから.アメリカ人と同じように,家族を大切にする生活の仕方,時間の使い方をして,その上でアメリカ人と伍して,それ以上に優秀な研究者になるっていうことよね」
「まあ,...ね」
「スポーツだって,野茂とかイチローみたいなレベルだからアメリカにいる価値があるのよね.そうなれないんだったら,自分は力が無いと認めて,早く日本に帰って,普通の日本人として日本でやればいいだけの話よね.日本でしか通用しないんだから」
新体操ナショナルチームでしのぎを削ってきた元アスリート,有無を言わさぬ物の見方だ.
「だから,アメリカ人みたく土日は完全に仕事無しよね.土日返上とか一人残って頑張ってギリギリついていける程度じゃあレベルが低いってことよね.日本にいた時は土日も仕事で家にいなかったし帰りも遅かったから,これでちょうどよかったわ!」
ああ妻よ,素晴らしきかな.
私のアメリカ挑戦は,家族からの愛すべき挑戦状から始まった.
shinojpn at 22:13|Permalink│Comments(1)│
September 23, 2017
文武両道のすゝめ
「天は人の上に頭を造らず人の下に体を造らずといへり」(文武両道のすゝめ,篠原稔)
スポーツは走ったり泳いだりの持久系は得意な一方,体操系はイマイチで悔しい思いをしたりした.ところがある時期から友達と筋トレ競争を始めたら,急にバク転とか宙返りとかが簡単にできるようになって驚いた.技術そのものを練習する直接的な方法だけではなく,別のアプローチでこそ結果が出ることもある,という解決法を実体験で学ぶことができた.
そこで,運動で実体験した問題解決法を,苦手な国語に当てはめてみることにした.
それは,文章を「書く」のではなく,「読む」ことを深くトレーニングするというアプローチだ.
ちょうど学力増進会という通信教育の国語が難解文章で,考えずに目を通せば3分もかからないような一つの文章を,毎日毎日うなりながら1か月間繰り返し読む,というトレーニングを数か月間続けてみた.
そうして毎日毎日執拗に読みこんでいくと,あるときパッとひらめいたりして,書き手の考えが全て手に取るようにわかるようになってくる.どうしてこの部分でこういう表現をして,わざわざこの単語を使っているのか,とかまでわかってしまう.最初は読み手だったのが,いつの間にか書き手と一心同体のような気持ちで考えるようになっていた.読みながら書き方を考えるという学習トレーニングとなっていて,結果的に書き方が身に付いてしまった.
それ以来,国語は読むのも書くのも得意になり,文系の道をまっしぐらに進むこととなった.大したことのない例かもしれないが,スポーツの体験で学んだことが学業にプラスになったという具体例である.
スポーツを通じた学びは,学業中心の生活では遭遇しないような体験学習として,実感的に身につきやすい.
明確なチャレンジ目標を持つ → 目標に向かって地道な努力を懸命に繰り返す → 勝てるかも!と希望を持つ → 試合では緊張する → 負けてしまう → くじける → しかし立ち上がる → そして新たな作戦で挑む → 次は勝つ!
こういうサイクルを何回も何回も繰り返す.
この心身ともにダイナミックな体験学習の繰り返しの中で,チャレンジ課題発見能力,努力持続力,ストレスマネージメント,タイムマネージメント,問題解決能力などがトレーニングされ,身についていく.そしてトレーニングの結果としての成功体験を積み重ねていく.
アメリカの大学入学選抜などで人物評価する際に重視する特徴的な経験と能力がある.いかにチャレンジをし,失敗し,そこから反転して逆に成功に導いたか,という
チャレンジ能力 → 失敗 → リカバリー反転能力
だ.
大きな失敗経験の無い一見“優秀な”人だと,その人は能力を超えたチャレンジをしたことが無いとみなされ,リカバリー反転能力も未知となり,人物評価が低くならざるを得ない.リカバリー「反転」とは,単にリカバリー前に戻るのではなく,チャレンジ前とは違う方向あるいはより高い成功を生み出す能力である.そういう能力が求められている.
チャレンジ能力とリカバリー反転能力は人物評価に限らず,子供が将来独立し充実した人生を送るために鍛えておくべき基本能力だろう.日常生活で失敗を繰り返すわけにはいかないが,スポーツはチャレンジ → 失敗 → リカバリー反転のトレーニングを繰り返し体験学習できる貴重な世界というわけだ.
チャレンジ能力 → (失敗) → リカバリー反転能力
失敗は,チャレンジとリカバリー反転の間での通過点に過ぎない.失敗に対する社会のマイナス評価が日本と比べて厳しくないのは,チャレンジの多いアメリカ社会では失敗は当たり前で,それよりもその前のチャレンジとリカバリー反転に価値を置き注目しているからなのかもしれない.
そういう意味で,いわゆる頭のいい一見“優秀な”人に対してこそ,スポーツ競技への真剣な取り組みが勧められる.アメリカで一流大学にトップ選手がいたり,トップ選手が引退後に医師や弁護士になったりするのは,頭脳を鍛えて将来活躍したい子供(活躍させたい親)こそが,スポーツ競技(や芸術活動)にも真剣に取り組んでいるからだ.
身体運動が認知能力を高めるという研究結果も次々と出ている.頭をよくしたければ運動した方がいいのは科学的に明らかだ.私自身,学習直後の筋トレによって記憶力が10パーセント増加する(正答率が10パーセント増加,相対的には20パーセント増加)という研究論文を数年前に発表し,ネットニュースなどで世界に広まっている.
「天は人の上に頭を造らず人の下に体を造らずといへり」
頭と体に上下関係はなく,お互いに相乗効果を与えあう平等な関係として捉え,両方を上手に鍛えていくべきであろう.
では,「文武両道のすゝめ」は日本ではどうやって「作っていく」ことができるのだろうか.たとえばこんなことが考えられる.
「文武両道のすゝめ」が実現するためには,勉強と同様,効率的なスポーツトレーニング法を探求し,スポーツの練習時間を短時間化すべきという社会的な要請に基づいたシステムを作っていくことも同時に不可欠である.
実際,効率的な指導を受けている我が娘の練習時間は普通の選手よりも大幅に少なく,そのおかげで練習疲れも少なく,頭を鍛える時間と気力が確保できている.私の専門とする身体運動科学の研究も,効率的なトレーニング法につなげていくための研究分野だ.
効率的なスポーツトレーニングを施せる優秀な指導者は,効率的に頭を鍛えられる優秀な塾講師と同様,高く評価されるべきで,高い給料や指導料も受け取れるようにすべきだろう.時間あたりでなく,引き出されたトレーニング効果あたりで計算すれば,そういう指導者の給料や指導料は実は割安であり,時間ばかり費やす指導者のそれが割高であることに気づくであろう.
文武両道の要はスポーツ指導法の効率化と練習の短縮化であり,そのためにはスポーツ科学研究の更なる発展,スポーツテクノロジーの開発,そして優秀なスポーツ指導者を養成し高く評価するシステムが不可欠である.
一方のアメリカの話は,理想論ばかりではなく,実は「生き抜くための」文武両道でもある.
アメリカは貧富の差が大きい厳しい格差社会ということはよく知られているだろう.実際,格差社会は小学校の中から既に始まっている(参照:小中学校内で始まっているアメリカ格差社会の住み分け).私の住む学区では,公立校でも小学3年生位からクラスも授業も成績分けで決まってしまう.その頃に学業成績が上の方に入っていないと,どんどん引き離されていき,その後に挽回するのも難しい.
社会に出れば首切りや倒産は日常茶飯事,健康保険も高額でかなりの収入がないと“普通の”生活ができない.将来が不透明な社会の中で,生き抜く武器が必要不可欠だ.
強いコネを持たない外国出身者にとって,大学は個人の価値という武器を磨く重要な機会だ.学歴は,一つ目の仕事のみならず仕事を失った後に次の仕事を得やすくするための保険のような武器となる.そしてそれなりの大学に入るためには学業成績だけでは十分ではない.スポーツや芸術でのそれなりの実績が必要となる.
そういう社会要請への対応としての文武両道でもある.
自分の夢(ワガママと読む)に付き合わせて子供をアメリカに連れてきてしまった自分としては,厳しいアメリカ社会で生きていく子供を路頭に迷わせないために,まずは文武両道に育てなければ,という責任感を感じている.
個人の価値こそが重要になりつつある厳しい時代,これまで唱えられてきた「生きる力」の教育では心許ない.文武両道は個人と親と社会の発想転換と努力で「作っていく」ものだと思う.文武両道を通じ,厳しい時代の中でもチャレンジし,失敗してもリカバリーして新たな成功に導く「生き抜ける力」をこれからの子供達には養ってもらいたい.
(この記事は宮下幸恵さんのYahoo記事「文武両道の鍵は急がば回れ!」の取材時に伝えきれていなかった部分を補足し膨らませた内容です.前半は似ていますが後半はかなり膨らませています.)子供の頃は国語が大の苦手で,自由作文の課題に,「僕はどう考えても作文が書けないので書きません」と一行だけ書いて提出し,先生に怒られたことがある.それくらい,国語がダメダメだった.
スポーツは走ったり泳いだりの持久系は得意な一方,体操系はイマイチで悔しい思いをしたりした.ところがある時期から友達と筋トレ競争を始めたら,急にバク転とか宙返りとかが簡単にできるようになって驚いた.技術そのものを練習する直接的な方法だけではなく,別のアプローチでこそ結果が出ることもある,という解決法を実体験で学ぶことができた.
そこで,運動で実体験した問題解決法を,苦手な国語に当てはめてみることにした.
それは,文章を「書く」のではなく,「読む」ことを深くトレーニングするというアプローチだ.
ちょうど学力増進会という通信教育の国語が難解文章で,考えずに目を通せば3分もかからないような一つの文章を,毎日毎日うなりながら1か月間繰り返し読む,というトレーニングを数か月間続けてみた.
そうして毎日毎日執拗に読みこんでいくと,あるときパッとひらめいたりして,書き手の考えが全て手に取るようにわかるようになってくる.どうしてこの部分でこういう表現をして,わざわざこの単語を使っているのか,とかまでわかってしまう.最初は読み手だったのが,いつの間にか書き手と一心同体のような気持ちで考えるようになっていた.読みながら書き方を考えるという学習トレーニングとなっていて,結果的に書き方が身に付いてしまった.
それ以来,国語は読むのも書くのも得意になり,文系の道をまっしぐらに進むこととなった.大したことのない例かもしれないが,スポーツの体験で学んだことが学業にプラスになったという具体例である.
スポーツを通じた学びは,学業中心の生活では遭遇しないような体験学習として,実感的に身につきやすい.
明確なチャレンジ目標を持つ → 目標に向かって地道な努力を懸命に繰り返す → 勝てるかも!と希望を持つ → 試合では緊張する → 負けてしまう → くじける → しかし立ち上がる → そして新たな作戦で挑む → 次は勝つ!
こういうサイクルを何回も何回も繰り返す.
この心身ともにダイナミックな体験学習の繰り返しの中で,チャレンジ課題発見能力,努力持続力,ストレスマネージメント,タイムマネージメント,問題解決能力などがトレーニングされ,身についていく.そしてトレーニングの結果としての成功体験を積み重ねていく.
アメリカの大学入学選抜などで人物評価する際に重視する特徴的な経験と能力がある.いかにチャレンジをし,失敗し,そこから反転して逆に成功に導いたか,という
チャレンジ能力 → 失敗 → リカバリー反転能力
だ.
大きな失敗経験の無い一見“優秀な”人だと,その人は能力を超えたチャレンジをしたことが無いとみなされ,リカバリー反転能力も未知となり,人物評価が低くならざるを得ない.リカバリー「反転」とは,単にリカバリー前に戻るのではなく,チャレンジ前とは違う方向あるいはより高い成功を生み出す能力である.そういう能力が求められている.
チャレンジ能力とリカバリー反転能力は人物評価に限らず,子供が将来独立し充実した人生を送るために鍛えておくべき基本能力だろう.日常生活で失敗を繰り返すわけにはいかないが,スポーツはチャレンジ → 失敗 → リカバリー反転のトレーニングを繰り返し体験学習できる貴重な世界というわけだ.
チャレンジ能力 → (失敗) → リカバリー反転能力
失敗は,チャレンジとリカバリー反転の間での通過点に過ぎない.失敗に対する社会のマイナス評価が日本と比べて厳しくないのは,チャレンジの多いアメリカ社会では失敗は当たり前で,それよりもその前のチャレンジとリカバリー反転に価値を置き注目しているからなのかもしれない.
そういう意味で,いわゆる頭のいい一見“優秀な”人に対してこそ,スポーツ競技への真剣な取り組みが勧められる.アメリカで一流大学にトップ選手がいたり,トップ選手が引退後に医師や弁護士になったりするのは,頭脳を鍛えて将来活躍したい子供(活躍させたい親)こそが,スポーツ競技(や芸術活動)にも真剣に取り組んでいるからだ.
身体運動が認知能力を高めるという研究結果も次々と出ている.頭をよくしたければ運動した方がいいのは科学的に明らかだ.私自身,学習直後の筋トレによって記憶力が10パーセント増加する(正答率が10パーセント増加,相対的には20パーセント増加)という研究論文を数年前に発表し,ネットニュースなどで世界に広まっている.
「天は人の上に頭を造らず人の下に体を造らずといへり」
頭と体に上下関係はなく,お互いに相乗効果を与えあう平等な関係として捉え,両方を上手に鍛えていくべきであろう.
では,「文武両道のすゝめ」は日本ではどうやって「作っていく」ことができるのだろうか.たとえばこんなことが考えられる.
- 文武両道授業校:学校で各授業の最後は先生も生徒もその場でスクワットなどの筋トレで締めくくるようにしたらいいだろう.授業内容のより大きな学習効果が期待されるし,足腰が強くなり先生のロコモ予防にだってなる.それを取り入れた学校は「文武両道授業校」として国や自治体がサポートすればいいだろう.
- 文武両道入学枠:東京大学などの人気大学でスポーツ等の実績を入試得点に加味する「文武両道入学枠」を定員の半分位でも作れば,“優秀な”人もスポーツ競技に真剣に取り組むようになっていくに違いない.
- 文武両道コース:文武両道入学枠を目指せるよう,トップ進学塾とトップスポーツクラブが提携して「文武両道コース」ができたりすれば,色々な意味で面白い刺激になるだろう.
- 文武両道オンライン:スポーツ大会のために欠席する授業と同等の内容がオンラインで遠隔学習できたり,宿題をオンラインで受け取り提出するような教育システムのオンライン化(文武両道オンライン)も重要だ.我が娘の学校は公立だが随分前からそうなっていて,大会や遠征先で当たり前のように宿題をやっている.
「文武両道のすゝめ」が実現するためには,勉強と同様,効率的なスポーツトレーニング法を探求し,スポーツの練習時間を短時間化すべきという社会的な要請に基づいたシステムを作っていくことも同時に不可欠である.
実際,効率的な指導を受けている我が娘の練習時間は普通の選手よりも大幅に少なく,そのおかげで練習疲れも少なく,頭を鍛える時間と気力が確保できている.私の専門とする身体運動科学の研究も,効率的なトレーニング法につなげていくための研究分野だ.
効率的なスポーツトレーニングを施せる優秀な指導者は,効率的に頭を鍛えられる優秀な塾講師と同様,高く評価されるべきで,高い給料や指導料も受け取れるようにすべきだろう.時間あたりでなく,引き出されたトレーニング効果あたりで計算すれば,そういう指導者の給料や指導料は実は割安であり,時間ばかり費やす指導者のそれが割高であることに気づくであろう.
文武両道の要はスポーツ指導法の効率化と練習の短縮化であり,そのためにはスポーツ科学研究の更なる発展,スポーツテクノロジーの開発,そして優秀なスポーツ指導者を養成し高く評価するシステムが不可欠である.
一方のアメリカの話は,理想論ばかりではなく,実は「生き抜くための」文武両道でもある.
アメリカは貧富の差が大きい厳しい格差社会ということはよく知られているだろう.実際,格差社会は小学校の中から既に始まっている(参照:小中学校内で始まっているアメリカ格差社会の住み分け).私の住む学区では,公立校でも小学3年生位からクラスも授業も成績分けで決まってしまう.その頃に学業成績が上の方に入っていないと,どんどん引き離されていき,その後に挽回するのも難しい.
社会に出れば首切りや倒産は日常茶飯事,健康保険も高額でかなりの収入がないと“普通の”生活ができない.将来が不透明な社会の中で,生き抜く武器が必要不可欠だ.
強いコネを持たない外国出身者にとって,大学は個人の価値という武器を磨く重要な機会だ.学歴は,一つ目の仕事のみならず仕事を失った後に次の仕事を得やすくするための保険のような武器となる.そしてそれなりの大学に入るためには学業成績だけでは十分ではない.スポーツや芸術でのそれなりの実績が必要となる.
そういう社会要請への対応としての文武両道でもある.
自分の夢(ワガママと読む)に付き合わせて子供をアメリカに連れてきてしまった自分としては,厳しいアメリカ社会で生きていく子供を路頭に迷わせないために,まずは文武両道に育てなければ,という責任感を感じている.
個人の価値こそが重要になりつつある厳しい時代,これまで唱えられてきた「生きる力」の教育では心許ない.文武両道は個人と親と社会の発想転換と努力で「作っていく」ものだと思う.文武両道を通じ,厳しい時代の中でもチャレンジし,失敗してもリカバリーして新たな成功に導く「生き抜ける力」をこれからの子供達には養ってもらいたい.
shinojpn at 07:08|Permalink│Comments(0)│
August 15, 2017
10年勤続同伴パーティと3倍の稼ぎ
労働力の流動性が高いアメリカ,10年働いただけで「長い間の貢献ありがとう」と,大学から感謝されてしまう.そんなパートナー同伴の永年勤続パーティーは,予期せぬ果実を生み出してくれた.
ランチョンパーティーに招待されたのは,数ヶ月前の春のこと.ファカルティもテクニシャンも事務員も一緒に招待され,スーツからジーンズまで身なりも様々だ.立場による分け隔てなく適当にテーブルにつき,豪華な食事をいただきながら大学上層部からの労いを受ける,半フォーマル半カジュアルな会だ.
普通に働いてきただけなのに感謝され,二人で美味しい食事をいただけるとはありがたい話だ.だが,パーティーなのにワインなどのアルコール類が供されなかったのは少し(とても)寂しく,自分個人としては,盛り上がるような感情は沸いてこなかった.
ただ,パートナー同伴だったことは,10年に渡る妻への感謝の気持ちを伝えるいいきっかけになった.
そして,それ以上に,思わぬ結果さえも生み出してくれた.
こうやってそれなりの場所で一緒に宴を供され,それなりの大学から感謝される立場の夫を見ると,なにやら誇らしく思えてくるらしい.
そして,その誇らしい夫の妻であることを嬉しく思うらしく,いつも以上の「尊敬感」がかもし出されていた.
嬉しさのあまり,アラフィフ熟年夫婦らしからぬセルフィーを撮るほどの勢いだ.
どうやら,こういうパートナー同伴の会は,実はパートナーのための会,と捉えた方がいいのかもしれない.そしてそのパートナーが感じた結果が自分に返ってくる,いい意味での因果応報の世界なのかもしれない.
高く上がった夫の評価からは,さらなる期待も生まれてくるらしい.
...あれから数ヶ月,出費がかさむ夏場にもなると,こんな風な会話にもなったりする.
「研究じゃなくてビジネスの世界でバリバリ頑張れば,今の3倍くらい稼げる力もあるのかもね?」
確かに,バリバリとそれぐらい稼ぐビジネスマンも沢山いるだろう.
ただ,状況に応じて,色々な生き方,物の見方がある.
自由の国=自己責任の国アメリカで,日本出身の家族3人がそこそこ成功して幸せに生きていくためには,お金だけでは不十分だ.
家族それぞれがアメリカ社会で充実した生活をし将来への道筋が作れるよう,大黒柱にとって,物理的な自由度と精神的な余裕を持って色々な状況に対応していくことは,窮屈な時間やストレスをお金に変えたりすることよりも重要なはずだ.
ただ,状況に応じて,色々な生き方,物の見方がある.
自由の国=自己責任の国アメリカで,日本出身の家族3人がそこそこ成功して幸せに生きていくためには,お金だけでは不十分だ.
家族それぞれがアメリカ社会で充実した生活をし将来への道筋が作れるよう,大黒柱にとって,物理的な自由度と精神的な余裕を持って色々な状況に対応していくことは,窮屈な時間やストレスをお金に変えたりすることよりも重要なはずだ.
「気が付いてないかもしれないけど,実は3倍稼ぐ頑張りはしてると思うんだ」
首が斜めに傾いた.
「そのうちの三分の一が,お金という数えられる形で家族に入って,見えているだけ」
目がキョトンとした.
「あとの三分の一が娘への愛情,そして三分の一が妻への愛情.数えられないし見えにくいかもしれないけど,そういう形で家族に入ってきていると思ってみたら?」
口が開いてきた.
「そういう風に,時間やエネルギーの使い方を意識しているつもりだけど」
首がゆっくりと縦に沈み,目が大きく見開いてきた.
「それとも,全部,お金にしちゃった方がいい?」
首が激しく横に揺れ,目がまぶしく輝いた.
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January 08, 2017
必然の科学者史
久しぶりに日本から届いた郵便物を少し乱暴に開け始めると,ピンクっぽい物が目に飛び込んできた.
ピンク?と体が反応し,少しドキドキしながら,ビリビリビリッと破き開けてみる.
ピンク?と体が反応し,少しドキドキしながら,ビリビリビリッと破き開けてみる.
私の中に封じ込められていた,あの興奮を刺激する,ピンクの本が飛び出してきた.
非売品.
一般には出回らず,マニアとして認められた人達だけが手に入れられる.
「手と指」
アメリカに来て数年経った2003年にそのテーマで研究助成をいただいた,中山人間科学振興財団の創立25周年記念誌である.受賞者達はこの「25年の歩み」という記念誌に載せる文章を「自分の研究史における受賞研究の位置づけ」というお題で寄稿依頼されていた.
依頼されたとき,それが科学史を専門とする村上陽一郎氏の企画と知った瞬間,学生時代,氏の読み物から刺激していただいた,オドロキの知的興奮がパパッとよみがえった.
東大生が読むには,タイトルも,見かけも,重さも,軽い本だった.
30年も昔のことだから,本の細かい内容は覚えていない.しかし,昔,初めてのお子様ランチに飛び上がって小旗を振ったような,その時の「興奮したという記憶」は封印され残っているものである.
「科学的な発見は偶然ではなく,その背景には,それが必然となる,科学者達の歴史がある」
うろ覚えながら,いくつかの具体例から,そんな「必然の科学」的な科学史があるということを,臨場感あふれる形で,初めて知り,興奮した.
論理的な思考が大好きだった文系学生の私は,事項説明に終始する脈略の無い歴史は大嫌いだった.しかし,この本で科学史という歴史分野があること,そしてそれは必然の歴史という論理の物語であることを知り,のめりこむ様に読み進めた.
そこに書いてあったのは,もしかすると「科学の」必然的歴史だったのかもしれない.しかし,私の記憶の中では「科学者の」必然的歴史が書いてあったような記憶になっている.副題に「科学の歴史の落ち穂を拾う」とあるように,見逃しがちな情報を拾いあてていくその紐解きは,まるで探偵小説のようであり,衝撃だった.
そこに書いてあったのは,もしかすると「科学の」必然的歴史だったのかもしれない.しかし,私の記憶の中では「科学者の」必然的歴史が書いてあったような記憶になっている.副題に「科学の歴史の落ち穂を拾う」とあるように,見逃しがちな情報を拾いあてていくその紐解きは,まるで探偵小説のようであり,衝撃だった.
そんな風に私の若き心を刺激してくれた村上氏の企画に参加できることを光栄に感じ,私個人の「科学史」ではなく「科学者史」における研究助成の位置づけを「25年の歩み」にしたためることにした.
「アメリカでのグラントとファカルティ職につながった科学者史の1ページ」
過去の受賞者達の文章の中で,誰よりも長いタイトルとなっていた.
非売品のピンク本を持つ研究マニア達だけの中に埋もれ去られるのも惜しいので,内容を少し抜粋してみる.
“海外在住者にこそ必要な,独自の研究活動を可能にする日本の研究助成は少なく,...”
“2003年,ボスの研究助成金で雇われた研究員であったため,その助成内容からズレる個人的な興味の研究に対しては,研究費サポートが得られなかった. ....この助成金によって,外国でも自分独自の研究アイディアを試すことが可能になった.”
小さなアイディアを試すだけの研究だったが,思い起こせば,それがきっかけとなってグラントやファカルティ職につながった.そんな「私の科学者史」の大切な1ページが,2003年にいただいた「手と指」の研究助成であった.
財団は,国際交流助成として,海外研究者の招勅にも助成をしている.
“いつの日か,海外研究者受け入れ助成のサポートで日本と国際交流する幸運に恵まれ,「私の科学者史」の財団の2ページ目を綴れる日がくることを願っている.”
去年の3月,そんな結びで締めくくった文章を寄稿した(全文は末尾に掲載).
その数ヶ月後,財団の助成テーマ「生体情報のモニタリング」に日本の共同研究者の国際交流申請が採用され,12月に日本に招勅された.あまりにも「できすぎ」だった.
その数ヶ月後,財団の助成テーマ「生体情報のモニタリング」に日本の共同研究者の国際交流申請が採用され,12月に日本に招勅された.あまりにも「できすぎ」だった.
しかし,この国際交流助成は,記念誌への寄稿が依頼されたことから意識され,その流れで「工学のスポーツ科学への応用」の研究交流のために招勅法を探していた共同研究者に伝え,申請されたものだった.後から考えれば,これも必然と言えるのかもしれない.
こうやって,その時々はがむしゃらで行動していたことも,1ページずつ,必然の科学者史としてつむがれていくものなのかもしれない.
過去を変えることはできない.
そして,その過去があるからこそ,何かが起きるのが必然である.
その必然は,過去を踏襲する必然かもしれないし,過去を否定する必然かもしれない.
いずれにせよ,今日の行動は過去からの必然であり,未来への必然を引き起こす可能性を秘めている.
さあ,今日は何をするか.
shinojpn at 19:59|Permalink│Comments(0)│
July 03, 2016
在外研究者の妻がアメリカで起業
今年2016年前半の大きな出来事として「妻のアメリカでの起業」という快挙があった.
「アメリカで地に足を付けて研究していこう」と10年計画で考え始めた当初から,研究者である前に家族持ちとしての課題を抱えてきている.アメリカという地で,どうやって家族「それぞれが」困らずに(=ハッピーに)生きていけるようにするか,という課題である.
好んでアメリカに飛び込んできた自分がつまずいたり困ったりするのは自業自得だ.が,日本での立場を捨てて付いて来てくれた妻や,アメリカ社会で育ち独り立ちしていかなければならない娘に対し,それぞれが将来困った状況に陥らないように道筋をつけてあげることは,言いだしっぺの私にとって失敗の許されない責任である.
好んでアメリカに飛び込んできた自分がつまずいたり困ったりするのは自業自得だ.が,日本での立場を捨てて付いて来てくれた妻や,アメリカ社会で育ち独り立ちしていかなければならない娘に対し,それぞれが将来困った状況に陥らないように道筋をつけてあげることは,言いだしっぺの私にとって失敗の許されない責任である.
親族もお金も宗教もない外国人/移民が格差社会アメリカで生きていけるように,とはどういうことか.終身雇用の無いアメリカで生きていく第一の策としては,専門性を磨き活かせるように妻を導いていくこと,そして高いレベルの高等教育を受けられる状況に子供を導いていくことであろう.
妻は4年前に新体操指導者として体操スクールに採用され,その後,英語で苦労しながらもナショナル審判の資格を取ったりキャンプに参加したりして,今やアメリカ新体操界で唯一のアジア系ナショナル指導者として一目置かれるようにまでなった.
地元ジョージアでは,新体操の本場ロシア系の気合いの入った親達が,ロシア系クラブではなく妻を頼り,子供達の指導を懇願してくるようにまでになった.日本人の親が子供の柔道指導を日本人指導者からアメリカ人指導者に乗り換えるような,オドロキの逆転状況である.
地元ジョージアでは,新体操の本場ロシア系の気合いの入った親達が,ロシア系クラブではなく妻を頼り,子供達の指導を懇願してくるようにまでになった.日本人の親が子供の柔道指導を日本人指導者からアメリカ人指導者に乗り換えるような,オドロキの逆転状況である.
異国の地で暮らしながら,本場の目の肥えた人達から信頼され,必要とされること.私が研究という分野で享受できるようになったことを,妻はスポーツという分野で達成してしまったのである.
そればかりか,さらには研究者の私を超えてしまった.
そればかりか,さらには研究者の私を超えてしまった.
それが,新体操指導の会社(Shinohara Academy)の起業である.日本から来た在外研究者「自身」のアメリカ起業はそれなりにあるかもしれないが,日本から来た在外研究者「妻」のアメリカ起業は快挙だろう.会社登記を終えて喜ぶ歴史的瞬間がまぶしい(写真).これから10年かけてトップ選手を育てていくという.
一方,アメリカで独り立ちすべき娘に関しては,高等教育に結び付けていかなければならない.アメリカのハイレベル大学での入学選考では,学業成績は「足切り」に過ぎず,学業以外の活動(スポーツや芸術)で卓越し,強いリーダーシップを持ち,その一方で社会にも貢献するという総合性を有し,それらが目に見える形で認められていることが重要となる.
幸運にも娘はスポーツ(新体操)でナショナルメンバーに選ばれたり,今年前半には全米優等生協会メンバーに選ばれたりしながら(写真),今のところは好ましい方向に向かってくれている.
研究者という職業柄,四六時中研究のことばかりを考えてしまいがちだが,ここ数年,妻と娘にこれらの道筋を作ることを優先し,意識して切り替えて行動してきた甲斐があった.
子どものスポーツ活動に関しては,練習を見にいく,疲れた心身をいたわる,試合に応援に行く,という日常的サポートに加え,国籍を変えるという非日常的サポートもあった.妻のスポーツ指導に関しては,専門指導以外の雑事(外部との英語連絡,出張準備,カスタマーサポートなど)をすべて引き受けたりしている.
これらを優先するため,今は研究に費やせる時間が少し限られてしまうが,この道筋作りもあと数年で落ち着くだろう.
長い目で見て,アメリカに来た研究者の家族「それぞれが」そこそこハッピーに暮らしていける一例になっていければ,とも思っている.
長い目で見て,アメリカに来た研究者の家族「それぞれが」そこそこハッピーに暮らしていける一例になっていければ,とも思っている.
shinojpn at 19:18|Permalink│Comments(0)│