February 09, 2015
可能性は子供に与え,大人からは奪え(国籍取得3/3)
アメリカ国籍/市民権取得の経緯にまつわる三部作の最後である.第一部(アメリカ国籍を取得―夢と希望のため)において,娘が新体操でアメリカのナショナルメンバーを目指せるように「夢と希望」を与えることが,最大の目的であることを記した.何とめでたい親バカだろう,と呆れられたかもしれない.
その通り,私は胸を張って親バカになりきっている.子育てにおいて,実現性(probability)の高低を示して無難な成長にまとめさせようとする親ではなく,最大限の可能性(possibility)を与え示し,それに向かって努力する姿勢を育み,その過程で何かを達成する楽しさを味わってもらいたいと思っているからだ.
ナショナルメンバーを目指せるように,というのは目の前の制限を外したに過ぎず,それはオリンピック出場,そしてオリンピックでの優勝を目指せるように,という究極の可能性に及ぶ話である.たとえ実現性(probability)が限りなく低くても,「ゼロでは無い可能性(possibility)」に対してポジティブ妄想に浸ることさえできれば,夢が膨らみ,興奮し,やる気が出て,がむしゃらに努力することができるでかもしれない.こういう可能性由来のポジティブ妄想過程を強く繰り返すことによって,子供は大きく成長しやすくなるのではないだろうか.それを求めるからこそ,親バカになりきってポジティブ妄想の場を限りなく膨らませ,引き立ててあげている.
ナショナルメンバー「程度」を目指すなら,取り組む練習内容は全国レベル「程度」に留まってしまう.それでは,うまくいかなければナショナルメンバーに「さえ」なれないだろう.一方,大風呂敷にオリンピック優勝「まで」目指してしまえば,取り組む練習内容は世界レベル「まで」たどりつく.こうしておけば,たとえ思い通りにいかなくてもナショナルメンバー「程度」にはなれるかもしれない.限りなく高いレベルでの可能性を与えておけば,実現レベルでそれなりに高いものが得られるだろう,という算段である.
「目指せ日本一!」という標語をよく見かけるが,これを「目指せ世界一!」とした方が,ポジティブ妄想効果で,日本一がより近くなるのでは,という発想である.
そういう意味で,まだ出来上がっていない,一つの目標に向かって一途に取り組める子供時代には,高いレベルに向かう(変化の)可能性を与え,それに意識を向けさせてあげることが,成長や向上への大切な刺激だと思う.
一方で,「そこそこ」出来上がって,中途半端に色々な物を持って欲張りになってしまった大人にとって,可能性というのは大きな曲者になりかねない.「変化の」可能性ではなく「変化しない」可能性に対する執着が,ネガティブ妄想を引き起こしてしまいがちだからだ.
「このままいれば…(今持っている物を失わなくてすむ)」という「変化しない」ことへの可能性をもっていると,「これから何かを変えたら…(今持っている物を失ってしまうかもしれない)」という,マイナス面への意識がクローズアップされたネガティブ妄想に陥ってしまい,身動きがとれなくなってしまいがちなのだ.
たとえば,「このままここにいれば,それなりに安定したポジションで研究を続けられる」という変化しない可能性.
これに対し,「海外に行ってより研究能力を高めることができれば,よりレベルの高い楽しい研究ができるようになるかもしれない」という変化の可能性へのポジティブ妄想.
そして,「もし海外に行って研究能力を高めることができなかったら,安定したポジションで研究を続けられることができなくなるかもしれない」というネガティブ妄想.
そこそこの物を持ってしまった大人が陥りがちなネガティブ妄想であるが,そもそも,本当にそんな物が欲しかったのだろうか.(研究者としての)子供時代,何を求めていたのだろうか.一度だけの人生,どのような状況で研究を楽しみたいのだろうか.
これに対し,「海外に行ってより研究能力を高めることができれば,よりレベルの高い楽しい研究ができるようになるかもしれない」という変化の可能性へのポジティブ妄想.
そして,「もし海外に行って研究能力を高めることができなかったら,安定したポジションで研究を続けられることができなくなるかもしれない」というネガティブ妄想.
そこそこの物を持ってしまった大人が陥りがちなネガティブ妄想であるが,そもそも,本当にそんな物が欲しかったのだろうか.(研究者としての)子供時代,何を求めていたのだろうか.一度だけの人生,どのような状況で研究を楽しみたいのだろうか.
「得る物あれば失う物あり」
である.これを逆手に考えてみる.
「得たい物があれば,持っている物を失ってしまえ」
少しばかりの物を持ってしまった私は,そうやって(変化しない)可能性という曲者を退治してネガティブ妄想の余地をなくし,自らを鼓舞していくという作戦を取ってきた.
まず,日本の大学助手(期限なし)という好ポジションを捨て,戻れる可能性のある職場を自ら失った.
数年後,日本のベストポジションへのお誘いも断り,日本の職場に帰れる可能性を自ら失った.
その数年後,日本で購入してあった新築マンションを売り払い,帰れる可能性のある家を自ら失った.
ついには,日本国籍という貴重な国籍をさえ捨て,帰れる可能性のある国を自ら失った.
こうして,ポジティブ妄想に浸るしかないように自分を追い込んで,さらに成長していくことを願っている.アメリカ国籍/市民権取得=日本国籍喪失とは,更なる成長を欲する私にとって,こういう流れの中での位置づけであり,一途に目標に向かえる「子供返り」としての手続きだったのである.
そう,さらなる可能性と実現性を高めていくための.
そう,さらなる可能性と実現性を高めていくための.
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│プロフ生活