October 15, 2014
「篠原稔のアメリカ人プロフェッサー生活」へ
このブログ,2005年に始めた頃はコロラド大学で研究員をしており,たしか
「篠原稔のアメリカ研究者生活」
というタイトルだったような気がする.
2005年4月当時,「アメリカにいる理由」という記事では,日本の大学からの誘いを辞退しながらも,別の形で日本の若者に役立てれば,と,こんなことを書いていた.
多くの一般の人達を対象にするのではなく,狭い世界の限られた読者層でもいいから,アメリカで過ごす研究者からの情報を真に利用できる人達を対象に,いわばニッチなブログにしようと書き連ねてきた.
その後,ジョージア工科大学に移ったときには,
「篠原稔のアメリカプロフェッサー生活」
へとタイトルを変え,アメリカで過ごす(日本人)プロフェッサーの生活という,さらにニッチな世界になっていった.
そして,とうとうアメリカ人になってしまい不思議な世界に入ってしまったからには,再びタイトルを変えるべきであろう.
「篠原稔のアメリカ人プロフェッサー生活」
か?
漢字の名前なのにアメリカ人というのも奇妙なので
「ミノル・シノハラのアメリカ人プロフェッサー生活」
という案も考えた.しかも,かなり真剣に.
でもファーストネームが頭にくるのはさらに奇妙なので,少しだけ奇妙なままにしておくことにした.
さて,アメリカ人として過ごすアメリカのプロフェッサー生活は,いったい何が違うのか?
実は,そういうことを考えること自体が,大きく違うのである.
乞うご期待.
「篠原稔のアメリカ研究者生活」
というタイトルだったような気がする.
2005年4月当時,「アメリカにいる理由」という記事では,日本の大学からの誘いを辞退しながらも,別の形で日本の若者に役立てれば,と,こんなことを書いていた.
若くて希望に満ちている人達に,自分の二の舞を踏んで欲しくはない.若さゆえの好奇心とパワーを活かして,興味ある分野での知的興奮を楽しんで欲しい.そういう気持ちが日に日に強くなってきた.日本にいると「研究はこんなもの」と誤解してリラックスしまう危険性があるが,それは知的財産の損失であろう.日本にいると,国際標準の研究の世界に触れる機会があまりないであろうから,まずはそういう世界を少しでも紹介すれば,自分の向かいたい方向が見えてくるのでは,と思ったのが,このblogの始まりであった.日本に帰って雑事に追われて消耗するよりは,こちらで活き活きして遠隔教育をした方が,別の教育効果があるかもしれない,と.
その後,ジョージア工科大学に移ったときには,
「篠原稔のアメリカプロフェッサー生活」
へとタイトルを変え,アメリカで過ごす(日本人)プロフェッサーの生活という,さらにニッチな世界になっていった.
そして,とうとうアメリカ人になってしまい不思議な世界に入ってしまったからには,再びタイトルを変えるべきであろう.
「篠原稔のアメリカ人プロフェッサー生活」
か?
漢字の名前なのにアメリカ人というのも奇妙なので
「ミノル・シノハラのアメリカ人プロフェッサー生活」
という案も考えた.しかも,かなり真剣に.
でもファーストネームが頭にくるのはさらに奇妙なので,少しだけ奇妙なままにしておくことにした.
さて,アメリカ人として過ごすアメリカのプロフェッサー生活は,いったい何が違うのか?
実は,そういうことを考えること自体が,大きく違うのである.
乞うご期待.
shinojpn at 11:22│Comments(0)│