July 21, 2013
アメリカでPhDを育て上げて成長する
アメリカで育てた2人目のPhD院生が,無事,学位論文のディフェンスを終えた.昨年の1人目はアフリカ系アメリカ人女性で,今回の2人目はロシア系アメリカ人男性.2人目にして人種,性別の両面でいわゆるDiversity(多様性)を満たすこととなった.
この多様性とは,実は人種や性別という見た目以外のところにも,大きく根をはっている.そんな多様性に満ちたアメリカでPhDを育て上げるという教育経験は,多様性の少ない日本出身の自分を,否応なく成長させてくれる機会を与えてくれている.
この多様性とは,実は人種や性別という見た目以外のところにも,大きく根をはっている.そんな多様性に満ちたアメリカでPhDを育て上げるという教育経験は,多様性の少ない日本出身の自分を,否応なく成長させてくれる機会を与えてくれている.
多様性と言えど,教育の本質であるサイエンス自体は世界共通なので, 世界のどこであろうとPhDを育てる教育において目指す方向には,揺るぎがない.
「新しく質の高い サイエンス研究を独立して行える能力を養う」
これがメインであり,そして,これにこだわらなければ私がここでPhD教育をする意味がない.
だが,この能力を養う過程においては多大な時間と労力が必要であり,自主的に学ぶために失敗させることも,すぐには答えを与えずに多少苦しませることもるため,院生にとっては 非効率的に感じることも少なくないであろう.さらに,私のPhD教育では,論文執筆能力と執筆過程での解釈深化に関する要求度も高く,それこそ書いては消してを繰り返す,一見非効率的に見える営みを何度も続けなければならない.
日本とは大きく文化の異なるアメリカ社会の中で, 社会的にも時代的にも自分が培ってきたのとは違う多様な価値観を持つアメリカ人院生に,そんな 学習活動を5年間も行わせ続けて成長させるには,自分の狭い価値観だけで教育していては,うまくいかない.
自分にとって「一番大切なこだわり」が満たされるようにするために,そして相手にとってのこだわりが満たされるようにするために,研究や学習に対する取り組み全般に関する話を,長い時間掛け,頻繁に行ってきた.そして,「二番目以降のこだわり」には積極的に目をつぶる.そうやって,もしかすると日本的とでも言えるような「つまらないこだわり」を,一つ一つ消していった.それは,自己否定による自己実現への道のりでもあった.
当人は全く気づいていないだろうが,彼がPhD取得までの間に大きく成長したのと同じ位,その間に私も大きく成長させてもらえたのである.子どもによって親が人間として成長させてもらうのと似ているかもしれない.
そして,この成功体験が,次なる成長を生み出す礎となり始めていることに,私は気付き出した.
shinojpn at 22:20│Comments(0)│
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